ぱちこは占い師ではない
いつも、変な占いを見てくださっているみなさま、スキしてくださるみなさま、ありがとうございます。
今回は、掟破りの記事なのですが、どうしてもぱちこが気味が悪く思うので、書き留めておこうと思った次第です。
と思って書いたのですが、書いているうちに時間も経ってきて、アホらしくなってきたのですが、書いちゃったので出しておきます。
占いを信じていてもいなくても、受け入れ難いことをクチバシりますが、すべてはぱちこの好きに書かせていただきます。
まずはじめに、一番、肝心なところから始めようと思う。
ぱちこは占いを信じていない。
占った通りに何かが起こるわけなどないし、あんなのは、占い師の口八丁だと思っている。
反面、占いというシステムは必要なものだと考える。あれは、カウンセリングの一部だ。
人間、生きていれば自分で全てを決められなくなる時も来る。誰かの、自分とは、または周りの環境とは、関連しない誰かの、アドバイスや後押しが欲しい時が必ずある。
そんなとき、道端の占い師でも、手に取った辞書でも、テレビの運勢でもなんでもいいから、答えを教えてもらえたら。とっかかりでもいいんだ、今やってるこのことは、わたしが好きなあの人は、これから生きていくには、何が正しいのか教えてくれ。
加えて、優しい言葉で、時には厳しく、諭してもらえたら。明日からもまた、進んでいける気がしてくるものだ。
それが例え、雑誌の最終ページに載った数行の星占いでも。
そういうわけで、ぱちこは占いが好きだ。何の根拠があるのやら、嘘か誠か判別のつかないことを、さもあらんとばかりの言葉を並べる、そんな占いが好きだ。
嘘の言葉を並べるということにかけて、お話を作るぱちこが、食いつかないわけがない。
そんなわけで、まず最初にぱちこが始めた占いは、当時の自サイトに載っていた。
ランダム数字を利用したもので、たとえば、
などというもの。ぱちこの大好きないつどこで誰がゲームを占いにしたような形だ。
これが、フリーペーパー「tue」を作成するにあたって、巻末の「ふしぎうさぎの あたるかもしれないうらない」に発展した。
今度は、一週間の占いを、誕生日の末尾の数字ごとに教えてくれるもので、なんのことはない、前述のシステムを10回繰り返して書いただけである。
ところが、なぜか分からないが、これを読んだ人には好評で、あまつさえ、これがよく当たるんよ、などと言われる始末。
そんなわけあるわけないやろ。ランダム数字やで。当たったような気がしてるだけや。
実際、ぱちこは熱く主張した。しかし、相手はにこにこ笑って、うんうん、そやけど、あたんねんて、当たるんやから、ええんやで、などと言う。
そんなわけ、あるかいな、ランダム数字やで、ありがたみもへったくれもない、無機質な、
rand(10)
みたいなやつやで!お清めの儀式とかもしてない、ぽちったらこれが走って答えが出るだけやで?
お分かりいただけるだろうか。
今の占いが始まった経緯にはしんえんなる(漢字も意味もわからないけど)理由があるのだが、それはさておき、これは、膨大な労力を要した結果産まれた、ランダム数字による占いに他ならないのである。
カードは全部で104枚あるのだが、最初からあったわけではない。初めの数ヶ月は、出てきたカードの絵をその日に描いていた。
たまに、カードの絵柄にあるように、などと書いてあるが、絵柄は後からできたものなので、信じてはいけない。
星だの月だの守り神だのおつかいだのカテゴリが存在するが、まあまあそれなりに選ばれてはいるものの、基本はぱちこの好みで作られた。
だから、森羅万象を網羅しているかというと自信がない。どっちにしろ、意味付け自体もインスピレーションな上に、その意味も幅を持たせるから、いいような気もするが、そういうわけだから、信じてはいけない。
もっと恐ろしいことに、それ以外のカードに関して、今でこそ、決まった三つの意味に分けられているが、最初はそんなものはなかった。
なかったが、三つくらいあるといいなあ、と思っていたので、これも、カードが出るたびに決められていった。そんなわけだから、さらに混沌としてくる。
完全なるぱちこの創作、しかも、その場の思いつき。ぱちこがほんまもんのスピリチュアラーだったなら、何か意味があったかもしれないが、その名もぱちこ。ぱちもんである。
これだけでもじゅうにぶんに、この毎日の占いがぱちもんであることは分かっていただけたと思うのだが、さらにぱちこは、異常なまでの怠惰ぶりを発揮する。
これ、毎日カード引くのめんどくさくね?
そのときまで、ぱちこはPHPで自作したページを前日にリロードすることで結果を得ていた。
しかし、このシステム、恐ろしいことに間違ってリロードしてしまうと、書き写す前に(突然、そこだけアナログすぎるやろ)結果が変わってしまうのだ。
占いだからそれもまた一興、なのだが、何しろめんどうくさい。しかも、忙しい日にはやる暇がない。
でも、訳あってどうしても毎日更新したい。
そこで、ぱちこは自分が生きていると思われるこの先30年分のデータを作成することを思いついた。
これさえあれば、過去の占いも振り返れるし、リロードして結果が消失する心配もない。
何より、未来の傾向まで知ることができる。今年の占いとか、来月の占いとか、コンテンツの幅が広がるじゃないか。
さて。
このぱちもんの占いによれば、このところ、「死」と「再生」のカードがよく出ている。
完全にランダムに作ったデータでも、月や週で見ていると傾向が現れる。それはまあ、別におかしなことではない。データに偏りがあるのではなく、一部分のデータを抽出することによって、偏りがあるかのように思えるだけなのだ。
ところでそんなぱちこは、タロットカードを持っている。これは、占い師になろうと思ったわけではなく、単にかわいいタロットカードが欲しかっただけのことだ。
普段は、くじゃくさん(黒猫)のベッドの中に入れてある。なんとなく、霊力が強まりそうな気がするからだ。
占いは信じていないが、カウンセリング要素を活用したいぱちこは、自分がいまだ、と思ったときに、このタロットカードを出してくる。
いやお前、自分のカードが104枚もあるんやろ、それを使えよって思われるかもしれないが、そんなぱちもんの占い、信じられるかね?
しかも、カードではなく、ぽちっとクリックするなんて、興が削がれるじゃないか。
その上、万が一にも、万が一にも当たっちゃったらどうするんだ、気味が悪いじゃないか。自分の作ったカードに人生諭されるなんて絶対に嫌だ。
トランプが大統領選挙に勝利する見込みになった日、ぱちこはいまだ、と思った。自分も含め、世界情勢を占う必要がある。文字通りの意味で。
そして、出てきたのが Death 。
死と再生のカードだった。
ああ、分かるよ、こういうことを信じない人はこういうだろう。
ただの偶然やろ?
ぱちこだってそう思いたい。
だ、か、ら、占いなんて、信じたくないんだ。
こんなのは確率の問題で、じゃあ、100回引いて全部、死のカードが出たときに言えよって。そういう見方もあるだろう。
だが、考えてみよう。
一度しか引いていない(実際には、引いたのではなく、飛び出したので、さらに事態は混沌とした。カード占いを多少ともたしなむ方は、飛び出したことの意味がお分かりだろう)事象と、向こう30年間をランダムに抽出した傾向が、重なり合う確率はいかばかりであろうか?
どちらも、まったく誰の力も介入しないで起きるできごとの偶然性を?
それでも、偶然に気味が悪いことになったわい、と済まそうと思ったぱちこに、姉(真面目に占星術を勉強している)が言った。
もうすぐなんとかせいがなんとかでなんとかやから、そういう時期なんやで。なんとかせいも、死と再生なんやで。
(興味がないので忘れた)
まあ、そういうこともあるかもしんない。
偶然に偶然が重なることって、人生でもよくある(このとき、自分自身のことを占った結果も、恐ろしくぴったり当たっていた。それも、単なる偶然だ、絶対に)。
あれは、単なるランダム数字だ。
カードもぱちこが適当に作った。
死と再生も、意味があって作ったわけではない。いつのことかも忘れたが、二年くらい前のある日のただの思いつきだ。
そんなものに、何の意味もない。
とは、思うのだが、どうしても気になるので、記事にした。こんな最後まで読んでくれたあなたに、お伝えしておきたい。
ぱちこの占いは、うそっぱちかもしれない。
でも、もしかしたら、当たるのかもしれないので、この宇宙を流れるなにものかの切り替わりにお気をつけいただければと思う。
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