見出し画像

わたしの失くしたイヤホン

 今年の夏に、わたしはイヤホンを失くした。左か右だか忘れたけど、どちらか片方。
 このイヤホンを買ったのは、ちょうどあの、800坪の物件のプレカットデータを作っていたときで、それから夏の間、わたしを支えてくれていた。
 失くしたのは、会社の近くのセブンイレブンで、店に入ったときに手提げに突っ込んだはずが、出たときにはどこにもいなくなっていた。

 片方を失くしてしまったから、わたしの手元には、片方のイヤホンが残った。
 そのとき店の人に助けを求めるとか、探しに戻るとか、色々方法はあったのに、わたしはそうしなかった。なにしろ暑かったし、なにしろ疲れていたし、なんとなく、もうお別れな気持ちがしたからだ。
 そして、探しに行かない自分を酷く責めた。酷く責めながらも、探しには行けなかった。店の人に声をかける気にもなれなかった。だから、もしかしたらと思って、セブンイレブンの近くの道を通るとき、ふと、出てきやしないかと思って、足元を見つめるようになった。

 いつの間にか、気温は当時の三分の一になった。

 その間に、イヤホンのこともすっかり忘れて過ごしていたのだが、仕事納めの金曜の朝、ふと、今日は見つかるかもしれないとまた、地面に目を向ける。

 もちろん、そんな素敵な偶然は起こらなかった。家の中では、失くした漫画や小説が、書物の山の一番上や、引き出しの中の見つかる場所に現れることがある。これは、きっと誰か、わたしとは違う時間の流れに暮らしている誰かが、必要があって持っていっていたのだと思っている。

 そうかもしれない。
 それならまだ、役割を終えていないのかもしれない。
 わたしは、会社へ向かう最後の角を曲がりながらそう思った。

 わたしの片側のイヤホンは、今でも起動すればわたしのiPhoneとつながる。そうすれば、今日の日付と時間が間違った文法のくせに、自信満々に告げられ、わたしの今日の予定が続く。そして、ラブサイケデリコか、ガーネットクロウか、カミラカベロのどれかが流れ始める。

 もう片側の誰かも、それを聞くのだろうか。
 それとも。

 それとも、わたしが、別のものを聞くのだろうか。どこかの誰かの、知らない世界の時間を? 聞いたこともない新しい音楽を? それとも、波の音を? 鳥の声を?

 こちらと向こうがつながることは決してない。音が聞こえるだけだ。

 でもそのうち、誰かが助けを求めているのに気がついたら?
 わたしは、助けに行けるだろうか?

 一体、何ができるだろうか?
 この遠く、離れた空の下で?




 この後、主人公の抱える問題と、向こうの世界の問題を解決する楽しい妄想を続け、この一年、いや、イヤホンを買うずっと前、何年も感じていなかった非常に愉快な気分になり、ニヤニヤしながら歩いていたら、道ゆく全ての人にヘンな目でみられた、そんな仕事納めの朝でした。



#なんのはなしですか

いいなと思ったら応援しよう!

フジ笑八コ(ぱちこ⭐︎)
よろしければ、サポートをいただけるとうれしいです! いただいたサポートは、くもみさきまちの運営費に活用しています!