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性善説と性悪説

先日の事業所内での暴行事件から二週間ほど経過しました。しかし、筆者が受けた精神的なダメージは未だ尾を引いております。

当初同じ社内での仕事となっていたシフト表はガラリと変わり、加害者側が施設外作業に回る形で会社としても応急処置ながらも一定の解決に向けて動いた形です(おそらく筆者が警察署に通報して書類として残した記録を基に、警察側から然るべき処置を行うよう要請された上での対応と思われます)
とはいっても100%隔離とはならず、ニアミスも度々起こっているのが現状です。それでも目立った動きが見られないのは加害者が大口叩くだけのただのヘタレだという証明でもあるわけですがw
おそらく事業所側から接触、接近の禁止といった何らかの行動制限を強制させられたのか、人目につく場所ではおとなしくしておいて、誰も見てないところでお礼参りでもしてやろうと思っているのか、いずれにしても何を考えているのかわからない不気味さもあって、筆者も未だに視界に入ったり声が聞こえるだけで身体が強張る状態ですので、根本的な解決には至ってないのが現実です。

さて、筆者は過去の記事に書いた通り、うつ病や睡眠障害、不安神経症、強迫性障害に加えて原因不明の頭痛(シャンビリという言葉に反応した方は何のことかわかりますよね)や幻覚、幻聴もぶり返すようになり、予測不能の突発的な不安に駆られてはODを繰り返すという、過去にもあった症状や行動が表れ始めている段階です(担当の医師よりパニック障害の可能性もあると言われました)

その間にも筆者を巡る環境は悪化の一途を辿り、ついには上階の部屋の騒音にも悩まされることになってしまいました。筆者が入居した2年半前は周囲も静かで、幼稚園から大学まで多くの学校が近くにあることもあってか治安もよく、安心して過ごせると思っていたのですが、ここ1年でそんな生活も終わりを告げ、次から次へと入れ替わる自宅マンションの他の入居者の迷惑行為に振り回され、問題行動も増えたことで町内会からも目をつけられるようになり、家に帰るのも億劫になってしまいました(仕事に行くのが億劫になるとかいう話ならよくあることなんでしょうけど)筆者は4月に賃貸契約を更新したばかりで、最低でも残り約1年半の契約の途中に退去となれば家賃とは別に1ヶ月分の家賃を支払わなければならず、次の物件探しや契約、引っ越しにかかる費用等を考えると身動きが取れないことも精神面の大きな負担となってのしかかっています。

人間は何故こうも愚かなんでしょう。選挙に行かなくても当選者は最初から決まっているようなものだし、だからといって自分の生活には何の変化もないでしょうし、多少悪いことをしても誰もそれを咎めたりもしない、若しくは注意されれば逆ギレして脅迫まがいの言葉で恫喝すればおとなしくなるだろうという、正に「無理が通れば道理が引っ込む」という荒んだ恐ろしい世の中になってしまったんだなと思うのと同時に、これほど恵まれた国に生まれておいて、まだ尚何を求めるんだろうと思うとその欲望の塊と厚顔無恥ぶりにはただただ呆れるばかりです。筆者はただただ穏やかで静かで健やかな、そしてどんな悪事も許さない世界の住人でいたいだけなのに、そんなごく当たり前の生活すら保証されないという理不尽な社会を生きているという屈辱をまだ味わわなければならないのかと思うと無念の一言しかありません。仮に筆者が死を持って抗議したところで「厄介者が一人減って楽だわw」程度にしか思われないでしょうし、世の中を舐め切って腐敗した連中にも人権や資格があり、それを盾にあろうことか他人の人権や資格を踏みにじってまでのうのうと生きて何が面白いというのか、もう生きる価値すらないと断罪せざるを得ない外道に怒りを覚えたところで何の手だてもないというのは、この国が抱える根深い闇だとしか思えません。いつか人知を超えたとんでもない天罰でも落ちない限り、筆者の住む市や県には自浄能力はないに等しいと思うのですが(決してまともな人間が全く存在しないと言っているわけではありません)どうなんでしょうか。さすが土砂崩れで人が亡くなる惨状が起きても三連休が明けてようやく会見を開くような無能な市長(知事も呆れていました)が治めているだけのことはあるなと思うと絶望しかないですね。

以前お世話になったカウンセラーの方が性善説を信じると仰っていましたが、筆者は性悪説を信じる側です。現代のように文明が発達し、社会生活においてやってはいけないことが当たり前に存在する時代を生きていると、やはり正しい道へ子供を導く大人の存在なくして真っ当な人間は育たないというのが筆者の主張なのですが、ただその道を作ることが目的やゴールではなく、その道をいかに正しい方向へ延ばしていくかが鍵になると考えます。人それぞれ言いたいことはあるでしょうが、性善説を信じる方の信念をお尋ねしたいほどです。

いくら多様性が求められる時代になっても、その基盤となる「人間らしく生きる」という基本的な考えを根底からひっくり返してしまうような事象が起こる現代社会が抱える闇は相当根深いものがあると筆者は考えます。誰もが我こそが我こそがと他人を踏み台にしてまで我欲を満たすような世界に何の希望があるのでしょう。そうならないために筆者にできることなどあるのだろうか、そんな自問自答を続ける日々を送っています。

ではまた。

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