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言葉と態度の不一致がひきおこしている不都合な現実

対立の炎にとどまる

読書会へのお誘い文を書いていたら、あまりに長くなったので、こちらの別の記事にしました。お読みいただいて興味が湧いた!という方は、読書会もぜひ。https://note.com/k_hoshi/n/n19e00ee938ee


「対立の炎にとどまる」って、なんだかとてもハードなタイトル。
平和第一、安全第一、できるだけ穏やかに生きていきたいタイプのわたしにとって、「対立」ってできれば避けたいもの。対立がありそうな場面からは、そっと距離をとって遠ざかりたい。それが本音のところ。

なのですが、「対立」は生きていれば避けられないものでもありますよね。
こんなに穏やかに、やわらかく接しているのに、なぜに衝突してしまうんだ?
すべての人に好かれようなんて思っていないけど、でも、知らずしらず誰かを傷つけたり、快く思われなかったり、意見が衝突したりしてしまうと、途方にくれる。
ケンカしたい!対立したい!なんて思ってケンカをはじめるひとは、おそらくほとんどいないのに、世の中は対立だらけ。なんでなんだろう?という疑問を抱くこどもだったのですが、家族のなかでよくある対立を眺めていて、気づいたことがあります。


「ああ、みんないちばん大事な、本音の想いは言えていないんだな」と。

助けてほしいのに、「だいじょうぶ」って言う。
そんなこと許せないって思っているのに、「いいよ」って言う。
ほんとうはだいすきなのに、「だいきらい」って言う。

でも本当は、言わなくたってわかっていてほしい。
だから、言わなくたってわかっていてね、って。
わかるはずでしょ、愛しているなら、っと。
言葉にしていない本当のきもちが態度やムードにあふれでていく。

大人になるってそういうこと。本音と建前が使い分けられる人になっていくってことよねって思うほどに、言葉と態度の距離はひろがって、この不一致そのままの自分を取り巻く世界を創っていく。

言葉からはみだしているいろんな想いが、意図せずさまざまな現象をひきおこしている。
最近提供させてもらっているコーチングセッションでも、このポイントにハッとする方が続出で、望んでいる現実にすこしずつ近づいていく第一歩は、この不一致への自覚かもしれない、と思います。


この本は、不一致の奥にある「ほんとうはこうだったらいいのにーーーーー」という爆発的なエネルギーをどう扱っていくといいのか、について書かれているのだなあ、とわたし個人的には思っています。
「対立」の瞬間、ぶつかる点に際立って活性化されるエネルギー。そして、この爆発的なエネルギーを、自分の生きる力、周囲の大切な人たちと自分を生きる力に変えていけるということに、ほんとうはものすごく希望と可能性があるんじゃないか、とも。

とはいえ、この不一致に向き合っていくのって、なかなかにハード。そのほとんどは、知らないうちに内在化している信念だったりするから、ヒリヒリもする。だからこそ、みんなで身を寄せ合ってこのちょっとハードな旅路を歩いていけたらうれしいです。


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