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大会史上異例の優勝チーム外からのMVP!その選手はキーパーでした。

公開日2019年4月27日

はじめに

 2019年3月15日〜17日まで大分県別府市で開催された全国女子選抜フットサル大会トリムカップ。
大分県選抜のキャプテンとして出場したGK梅村南選手(27)、MF斉藤結選手(16)。
 グループリーグは最後抽選にまでもつれ込むもなんとか突破。準決勝、おしくも日本選抜戦で1-0で敗れ第3位となる。斉藤選手はグループリーグでは決勝弾を入れ、攻守に渡ってチームで躍動!梅村選手はゴレイロ(キーパー)として大会MVPに輝くという大会史上異例の優勝チーム外からの選出となる!
 そんな大分県選抜躍進の立役者、両選手の原動力とは何だったのだろうか?サッカーとの出会いからをインタビューしました。

第1回GK梅村南選手(27)
ー自分にできることをやり切るという覚悟ー

 梅村選手は大分県大分市明野地区出身、大分市では昔から明野といえばサッカーというイメージが強い。そんな地域で小さい頃から兄姉のやっていた事をかじりつつ、サッカー少年団の指導者でもある父親の存在もあり、サッカー人生を始めている。

 最初はフィールドプレイヤーとしてサッカー人生をスタートしたが、ほとんどベンチでサッカーもそれほど好きじゃなく、卒団したらやめようと考えていたが、小学校高学年の時から女子のクラブチームがあって、そこにもたまに行っていたこともあり、卒団したら必然的にそこでやらされるようになる。中2ぐらいまでは足も速かった事もあって、フォワードをやっていたとのことだ。

 そんな梅村選手がキーパーになるきっかけは、中2の終わり頃に女子のアンダー18の大会時、キーパーがもう成人していて出れないから、高身長だった彼女が監督から指名されキーパーとなる。
 しかし、ここで彼女に最初の転機がくる。そうしてキーパーを始めたらキーパーが楽しかったのである。単純に足で触るのは苦手だったから手でボールを触れるのが良かったらしく、なおかつフォワードと違って走らせられないのでサッカーが楽しくなり、監督からも好印象になる。

 それから、梅村選手はサッカーの強豪校、静岡県の藤枝順心に進むことになるのだが、そのきっかけは大会でのプレーをたまたま九州視察で来ていた女子サッカー前代表監督の佐々木 則夫 監督の目に付き代表候補合宿に呼ばれる。

 そこから藤枝順心の指導者と所属していたクラブチームの監督が知り合いだったこともあり、梅村選手が元々フィールド出身のキーパーで藤枝順心のビルドアップというキーパーも使って展開するスタイルにも重なり声がかかる。本人はたぶん期待はずれだったと思うけど、たまたま声がかかって運が良かったと思うと振り返っている。

 そして、本人も相当悩んだようだが、ちょうどサッカーも楽しくなってきたのも重なり、最後は母親が藤枝順心から声がかかったことに対して、

「私が生きてきた中でベスト3に入るぐらい嬉しい」

この一言がきめてとなり決心し、藤枝順心に進学する。

 肝心の学校生活は、練習はもちろんきついし自由はなかったけどみんなでそれなりに楽しい寮生活を送っていたらしい。

 もちろんスポーツ選手には付き物のケガにも悩まされている。当時の監督にもお前は大事な大会前になるとケガをするとよく言われてたようで、今でも腰、膝など慢性的になっているとの事だ。

 でも、そんな藤枝順心での日々をいい思い出だと感じているようだった。

 では、その厳しい練習に当時彼女はどのように取り組んでいたのか紹介したい。今回のインタビューで自分が一番印象的だった部分です。

 このあとは彼女が堰を切ったように語った事です。

「ずっと無我夢中じゃないけどとりあえず何でも止めるみたいな。どんなボールでも反応して止めるということだけを、キーパーやってるときにずっと頭に入れてたかな。そんな手応えや喜びとかはないんですよ。」

ー「なんでそうなったの?」ー

「中2の終わりぐらいからキーパー始めて経験年数が少ないのになぜか強豪校へ行った。回りは経験が長くて、レベルが高いとこでやってきた選手がいっぱい集まっているわけじゃないですか。私はまだまともにセービングとかも出来ないのにどうやったら上手くなれるのかと考えた時に、とりあえずこのボール取れないというボールでも反応しようという考えから始まったんですよ。どんなボールでも泥臭くじゃないですけど、フォームがきたなくても何でもいいから止めようみたいな。それがずっとなんか身に染み付いてて、とりあえず誰にも負けないという感じ。そうなった時にはそれしか私にはないと。基礎がない分どうにかして止めるていう感覚でしたね。」

 この堰を切ったように語った時の自分が用意した質問は

「初めての手応え、喜びは?」でした。

 梅村選手はそういうつもりで言ったのではないと思いますが、一言で言うならば、そんなにあまくないんですよ!と言われた感じでした。

 しかし、これこそが彼女の抱えていたものだと感じましたし、この強烈な劣等感こそが彼女を突き動かしていた原動力なのだと思いました。 

 まさに日々この強烈な劣等感と葛藤しながら自分を磨き、この自分にできることをやり切るという覚悟から今の実力を身に付けたことは間違いないでしょう。

ーサッカー人生を一度諦めてたどり着いた新たな心境からゴレイロへー

 ここでもう一つ今大会の梅村選手のエピソードを紹介したい。それはJsportsで放送された(https://jod.jsports.co.jp/p/football/football_others/71843-V)トリムカップのインタビューで彼女が語った今大会への意気込みです。

「周りの方々に感謝の気持ちを忘れずに、何よりもこの大会を楽しみたいと思ってます。」

 もちろん他の有名選手たちもインタビューされて、それぞれ大会に対する意気込みを語っていますが、こんなシンプルに語ってる選手はいませんでした。
 まさにこれが現在の彼女の心境なのではないかと思いました。

 そんな彼女は一度サッカー人生を諦めていました。
高校卒業後、大分に戻り以前所属していたクラブに復帰します。
 そこで所属クラブの監督の交代があった年に今のなでしこリーグでの入れ替え戦に勝って参戦。1年間強豪チーム(日本代表選手らが所属)と戦うも、毎試合ほとんど支配され、スコアーも2ケタちかくで負けるみたいな感じで1勝もできず、さらにキーパーだった事で追い討ちをかけられ、それが1年くらい続いて当然降格。
 自分にはもう無理だと思い、完全にサッカーをやめてしまう。

 それから2〜3年(21〜24歳の時)はたまに試合があればキーパーやってくれないと声は掛かっていたので、その時は行っていた程度だった。
 そんな日々を送っていたところ、フットサルの男子のチームに昔から一緒にサッカーをしていた女子が参加していて、軽い運動がてらフットサルに来たらと連れ出してもらう。
 そこから、やっぱり軽く運動するのが楽しくなり、続けていたら感覚を取り戻し、フットサルのキーパー(ゴレイロ)として動き出し、今大会に至ります。
 

 梅村選手は一度諦めてしまった選手でした。

 だからこそ彼女は楽しむという新たな心境にたどり着いたのではないかと感じました。
 もっと言うならば、あの強烈な劣等感を抱え日々葛藤しながら覚悟をもって挑んだ彼女だからこそ辿り着いた、洗練されたシンプルな答えなのではないかと感じるのです!

 今大会、大分選抜の躍進を担ったのはもちろん地元開催や他のメンバーの力もあると思いますが、この梅村選手のプレーがこの躍進に繋がっているのは間違い無いでしょう。
 そしてこのスタンスでプレーする彼女の実力がサポーターや関係者を魅了し大会史上異例のそれもゴレイロとしてMVPに輝いたのです!

 そして、最後に今後について日本での活動もそうだが世界についても質問したところ。
 梅村選手「声が掛かればという感じですかね。自分から行けないですよね。基本たぶんキーパーって受身じゃないですか。だからキーパーに合ってたのかなと思いますよ。」
 今後の事はいろいろとありそうでしたが、そう語る彼女は少なくとも今ゴレイロ(キーパー)を楽しんでいる事は間違いないようです。

追記

 今回、梅村選手は大会史上異例の優勝チーム以外のチームからそれもゴレイロとしてMVPに選出されている。そんな選手であっても現在女子フットサルの日本の状況は選手にとってはまだまだ厳しい環境であるようです。
 本人も年齢、肉体的な事、仕事との調整、仮に移籍したとして移籍先でのマネタイズについてなど悩みを抱えていらっしゃいました。おそらく同じ悩みを抱えている選手がいるのが、現在の日本女子フットサルの現状ではないかと思います。
 すぐにはこの現状を打破する事は難しいと思いますが、将来的にこのフットサルで今大会のようにその地域に根ざしたエキサイティングな状況が継続していければ、徐々にではあるとは思いますが、変わっていくのではないかと思います。自分もそうですが、もしもご興味もたれた方がいらっしゃいましたら是非、女子フットサルを覗いてみて下さい。

 また、こんな素人の文章をここまで読んで頂き誠にありがとうございます。お見苦しい部分多々あるとは思いますが、どうぞご容赦下さい
 次回、第2部では大分選抜躍進のもう1人の立役者アラの斉藤結選手(16歳)編をアップ予定です。もし宜しければまたご一読下さい

GK梅村南(27)
大分県大分市明野出身
静岡県藤枝順心高等学校出身
カティオーラALTY所属


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