【回顧録】3年間、虹を追いかけて(4)
5.後期
私が気力を失っている間にも、虹コンは動いていました。
5月、ねも先輩がVTuberとしてデビューしました。しばらくはユーチューブで活動していましたが、現在ではまた生身でイベントに出るようになっています。
6月、全国ツアー初日に予科生復活が発表されました。予科生とは、ある時期まで存在した(いつまでかは不明。少なくとも私が虹コンを知った時には存在しなかった)正規メンバー候補です。新生予科生は4人でした。その中の1人に見覚えがありました。武道館ライブで虹コンを卒業し、4月末で芸能活動から引退したはずの華鈴先輩です。引退が迫るにつれて思うところがあったらしく、虹コンに復帰することにしたようです。
ねも先輩がアイドルとは違う形で発信を継続し、華鈴先輩がアイドルを再開した。それらの事実で前向きになることができれば良かったのですが、劇的な変化は起こりませんでした。現場に行くことはなく、ツイッターやユーチューブの更新をフォローする程度です。それでも、写真や動画でメンバーが楽しそうにしている様子を見ると、明るい気持ちになりました。
夏までの日々はそのようにして過ごしました。そして、少しずつではありますが、時間の経過と共に気力が回復していきました。
9月、見はからったようなタイミングでツアーファイナルの一般販売がアナウンスされました。発売当日にチケットを確保しました。会場は渋谷公会堂。ミッフィーとみゆみゆの加入を見届けた、あの渋谷公会堂です。復帰して初めての現場がそこであることは、偶然だったのでしょう。それでも、運命のような何かを感じずにはいられませんでした。
10月、約1年半ぶりに渋谷公会堂に向かいました。以前のように、駅の出口を間違えることはありませんでした。
――留守にしていた間に現場が様変わりしているのではないか
――もはや楽しめる現場ではなくなっているのではないか
不安がありました。足取りが軽いとは、とても言えませんでした。しかし、同時にライブが楽しみでもありました。落ち着かない気持ちを抱えたまま、渋谷駅から渋谷公会堂へ至る坂を上っていきました。
現場は何も変わっていませんでした。知っている通りの、虹コンのライブでした。ステージには愛梨ちゃんがいて、あかり先輩(中村朱里。なかむらあかり。赤担当)がいて、チャンス(山崎夏菜。やまさきなな。青担当)がいて、もう声を聴くことは叶わないと思っていた華鈴先輩がいました。だいすきマンに顔見知りがいるわけではありませんが、客席の雰囲気には懐かしさを覚えました。
武道館ライブまでそうしていたように、振りコピをして脳内でコールしました。ブランクが空いていたので、さすがに所々忘れていました。それでも、虹コンの現場を存分に満喫しました。
――帰ってきた
『世界の中心で虹を叫んだサマー』の、武道館で華鈴先輩が歌っていたパートを思い出しました。華鈴先輩にとって、帰ってくる場所は虹コンでした。私にとっても、それは同じでした。そのことを実感しただけでも感無量だったのですが、虹コンは続きを用意していました。
この日、2022年の夏曲『キミは夏のレインボー!』を初めて現場で聴きました。ミュージックビデオは観ていたのですが、改めて聴くと歌詞が刺さりました。
武道館ライブを境に現場を去っただいすきマンが他にもいたのでしょうか。そして、戻ってきただいすきマンが聴くことを想定して書かれた歌詞なのでしょうか。あくまで一個人の憶測にすぎませんが、そんな深読みをしました。
最後に、告知がありました。12月に日比谷公園大音楽堂(以下、野音)で野外ライブを行う、というものでした。2年半以上もできなかった声出しが解禁される、とも。その場で参戦を決めました。現場に戻ったその日に嬉しい知らせを聞けたのです。考えるまでもありませんでした。
ライブが終わった時、私は完全に元通りになっていました。
野音ライブ当日は雨の予報が出ていました。開場時点で持ちこたえてはいましたが、いつ降り出してもおかしくない空模様でした。12月らしく冷え込んでいたため、濡れてしまえば体調を崩す恐れがありました。次の日が出勤だったので、自重しようかとも思いましたが、声を出したい衝動には勝てませんでした。
さて、虹コンは11月にタオル曲(タオルを振り回す振り付けがある曲)である『勝手に最高!ディスティニー』をユーチューブで公開していました。野音ライブでは間違いなく歌うと思い、会場内の物販でタオルを買いました。
気温は相当低かったらしく、マスクをしていると息をするたびにメガネが曇りました。開演まで解決策を考えましたが、とうとう見つかりませんでした。
overtureが聴こえた時、だいすきマンが次々と歓声を上げました。久々に聴いただいすきマンの声が空気を、そして記憶を震わせました。初めて行った虹コンの現場で出会ったものが、そこにありました。しかし、その時みたいに気圧されたりはしませんでした。だいすきマンと共に、無心にサイリウムを振りました。
メンバーが全て入場し、overtureが鳴りやみました。並び方を見て、何の曲か察しました。『戦場の聖バレンタイン』。耳になじんだイントロが流れました。タイミングを見計らって一回クラップ。そして、喉に力を込めました。久しぶりに叫んだコールは思ったより細かったですが、それでも声が出せて嬉しかったです。
ライブが進むと共にだいすきマンの熱気が高まっていくのが分かりました。私もコールの勘を取り戻していきました。『愛をこころにサマーと数えよ』間奏や『THE☆有頂天サマー!!』アウトロの長いコールも言い切ることができました。左隣にいたあかり先輩推しのだいすきマンが一際大きな声でコールしていたおかげで、タイミングを間違えることはありませんでした。
寒さで強張っていた体も動くようになりました。『勝手に最高!ディスティニー』では思う存分タオルを振り回すことができました。ミュージックビデオでは岡田彩夢(おかだあやめ、と読む。通称、だぁやめ。緑担当。誕生日が同じ)が他のメンバーに持ち上げられて飛んでいましたが、まさかステージでも同じことをするとは思わず、驚かされました。
アンコール前の最後の曲が『パラドキシカル・コンプレックス』であり、アンコール最後の曲が『トライアングル・ドリーマー』でした。どちらも右手で三角形を描く振りコピと長いコール(正確には、口上)が楽しい曲です。声出しが解禁されたライブのクライマックスには相応しい選曲でした。ベストコンディションになっていた私は振りコピもコールも全力で楽しみました。
結局、危惧された雨は最後まで降りませんでした(ライブが終わった途端に降り出した)。参戦を自重していたら深く後悔していたことでしょう。参戦できたことの喜びをかみしめました。そして、来年も虹コンを推そうと決めました。
数日後、虹コンだいすきクラブ(ファンクラブ)に入会しました。2022年の虹コンに関する活動はこれが最後になります。
6.最後に
以上が3年間の振り返りになります。書き始めた当初は半分程度に収まる見込みだったのですが、書いていくうちに長くなってしまいました。
最後まで読んでくださった方はどのような方でしょうか。だいすきマンの方でしたら、次の現場(4月の中野サンプラザ)でご一緒できたら幸いです。そうでなければ、この記事に出会ったのも縁ということで、虹コンに興味を持ってくだされば、と思います。
お付き合いいただき、まことにありがとうございました。