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Ship of Theseus
読み終えたと思っていた小坂井敏晶著「社会心理学講義」でしたが、栞が本の3/4あたりに挟まっているのに気付きました。どうやら最後まで読んでいなかった様子。次の本を読む前に、こちらの続きを読み始めています。今日は再開した部分についての話です。
文化も血縁も、実際には断絶があるのにそれらは見えず、民族がどこまでも連続しているかのように錯覚する。この、同一性と変化を巡る謎について、小坂井さんは「テセウスの舟」のパラドックスを例に挙げ、読者に問いかけます。
漁師が毎朝舟で漁に出る。段々と傷んでくる舟を修理しながら漁を続ける。そして息子の代、孫の代と、舟は修理を繰り返しながら漁は続く。木の舟は修理の度に部品が替わるから、ある時点が来ると全ての部品が交換される。そこで疑問が残る。この舟は祖父の舟なのか?毎日使ってきた舟だから同じ舟だと言えるが、祖父の舟の材料はもう残っていない。それでも同じ舟と言えるのか?
ギリシア時代から議論されてきた「テセウスの舟」について、アリストテレスは"舟を構成する質料(ヒュレー)は変化しても、この舟をこの舟たらしめる形相(エイドス)は維持されている。従って全ての部品が交換された舟も本質的には同じ舟である"と考えたそうです。
しかし、修復され使われ続けている舟とは別に、傷んだ材料を全て保存し、その材料で組み立てられた古びた舟が出現した途端、使い続けていた舟は祖父の舟ではなく、その古びた舟こそが本当の祖父の舟だったんだという感慨が浮かぶことになる。つまり"形相の連続性を根拠に同一性は保証できない"という訳で、それ以外の"何か"が必要だが、それは舟自体にはない。では同一性の根拠はどこにあるのでしょうか?
「テセウスの舟」のように、一つ一つの材料を替えるという緩やかな変化が時間をかけて行われる場合、結果的に変化の総量が大きくなっても、同一性が中断された事実に自分達は"気がつかない"んです。
同一性の根拠は、時間の変化を超越して継続される"対象の本質が変わらない"という内在的理由ではなく、対象の不変を信じる外部の観察者による同一性錯視。つまり"内ではなく対象の外"にあるんですね。
国や民族の感覚が永く維持される背景にも、この外の同一性錯覚が隠されている。企業や組織が永く続くためのヒントも、ここにありそうです。
[2022.03.26投稿]いいね:26