残り時間0.1秒の瞬間 想像されたし

毎年1月に設定される「終末時計」。今年は、「残り100秒」でした。この2月のウクライナ危機で残り時間はどれくらいになってしまったのか。

原子爆弾開発者らが発案、1947年は「残り7分」だった・・・そうです。左上の15分間だけを示すデザインに絞り込まれた時計は、1991年、米ソが第一次戦略兵器削減条約(START1)に調印し、ソ連が崩壊したとき、残り17分を示し、その先のデザイン改定を予想するものでした。(本記事リンクより参照)

ですが、今日に至っては、核兵器を所有する各国が「現実対応」のために、これまでの緩やかな警戒を厳しく行おうとしています。

どこかの国で核兵器がさく裂し、その閃光が次の閃光をいざなう。地球に存在する生命すべての危機の始まり。

残念ながら、私の妄想でとどまらない。「核の自動報復装置」が働く可能性があるということです。今のように敵をはっきりさせ二極化の中で核兵器が使用されるわけではありません。仮想敵は仲間である隣人も想定内なのです。自国を護るということは、そういうことです。「限定した核兵器の使用」などありえないのです。

一度、核兵器が閃光を放てば、それはすべての核兵器がさく裂すると考えてください。人間が作り出した化け物を人間が止めることができない。その認識を深めてください。

最初の一発がさく裂する前、0.1秒。その瞬間にありとあらゆる人は何を思うのでしょう。

全世界の生き物が短い時間で瞬時に命を終えるわけではありません。

爆発の直接的な影響を受けなかった生命体は、その後の長い苦しみの中で生きることになります。生まれ来る次世代は現世代の想像を超えた形で命を授かることになり、かつ、短命に終わります。

あの0.1秒でさえ「止められる」のであれば、なにがなんでも止めていたはず。この想像を常に頭の上位においてください。

こう書いても、「それは、妄想ながら由々しきフェイク。許されないデマゴーグだ!」とお叱りの向きがあると思いますが、わたしにすれば「"現実" の想像力」が足りなさすぎる。それこそ、お花畑である。

自国を護るとは有事の前にあらゆる想定をしたうえで現実的な対応をとるということ

残り0.1秒とならないために、ありとあらゆる誇示をやめ、鎧を脱いで修飾しない本音を互いに認識しあい歩み寄る行動、それしか残された道も時間もないのです。

それが、今できているとはとても思えない。政治もメディアも財界も市民も含め、全域で全力で残り時間を引き延ばす行動しか許されていないのだと強く思った次第。


「終末時計」残り100秒、核科学者が毎年更新、その歴史(ナショナルジオグラフィック)


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