妄想:外国人排斥、鬱憤が溜まれば
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国全体が「喜びに包まれている」のなら、外国人排斥は起こりにくい。だが、「失意に満ちている」のなら、溜まった鬱憤を外国人に向ける行為が増えてくる。
誰しもが認める「ガイコク」であって、過去に侵略などの「ジジツ」があれば、なお、排斥に移りやすい。最初は襲い掛かりやすいところから始まる。
過去を引き合いに出して「カタキヲトッタゾ!」と叫ぶ。被害者は何の罪も犯していない。襲撃犯との接点もなかった。興奮冷めやらぬ罪人を遠巻きにして見物する内国人たち。助けようとすれば「ヒコクミン!」としてなじられ、一斉に暴力を受ける。
ひとたび集団で暴力が許されると、収拾がつかない広がりを見せる。動乱のはじまりである。
初期は外国人排斥が主に叫ばれ、その後、現政権の批判へと変わっていく。この現政権への批判の方が結ばれやすくなっていく。やがて、国家の暴力装置がむやみに暴徒を制圧するようになり、ほぼ、内戦の形となっていく。
こうなると「チカラ」がモノを言う。やがて、外国から武器を秘密裏に輸入し「ガイコクノチカラ」で反転攻勢を狙うようになる。政権側も反乱側も同じだ。
初期は外国人排斥で国内がまとまっていたのに、動乱終末期では外国の力に頼る。始まりは鬱憤晴らしでしかなかった。国内の混乱を避けて「ガイコクヘニゲル」人々が増えていく。難民である。その難民の塊が周辺国を圧迫していく。周辺国は難民流入を押し返すべく、国境に高々と塀をめぐらすようになる。それでも圧迫を感じ、越境して緩衝地帯を作ろうとする。紛争へ発展していく。
外国から侵略を受け始めると国内がまとまるようになる。「シンニュウシャヲヤッツケロ!」で反目しあった勢力同士がまとまっていく。戦争である。
周辺国も戦略によって、敵になったり味方になったり変遷しながら戦争は終わることがない。長い戦乱の世になっていく。もう、誰にも止められない。徹底した武力による統一を成し得る英雄集団が現れるまでは。
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いやだな、こんな時代は。変な妄想をしてしまいました。
(亡くなられた方に、心よりお悔やみ申し上げます。残念でならない・・・)