妄想:古代からある孤独解消法
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人間は、はるか昔から今の人工知能とのかかわりと似た孤独を逃れる手法を持っていた。それは、「書く」ということだ。もしくは「描く」。もしくは「作る」ということ。
相手は知能を持っていない。だが、単体である。それと向き合っている人間は孤独を感じない。書きながら自己投影を行い、それを変えていくことで擬人化できる。何を知っているか、何がどう見えるか、どう動くのか。投影しながら変化してあたらしい自身を作りこんでいく。
できつつある擬人に語り掛ける。そうすると、相手は反応する。無言である。だが、返事を返してくる。ときには怒り、時には涙する。ふっと振り返ると微笑みかけているように見える。カタコト音を立てて大笑いする。まったく、ニンゲンであって親友であるのだ。
思わず声をかける。それが日常となる。誰かが作った擬人へも声をかける。足元の砂粒にも声をかけてみる。風にそよぐ草にも、それに雨を降らせる雲たちにも声をかける。身の回りに親友が増えていく。
万物すべてが親友となっていく。やがて・・・神にたどり着く。自身の存在を作り上げた偉大な存在だ。もはや、友を超えた存在で、信じるよりほかはない。擬人であった存在は神の宿る存在へ変化していく。熱心に作りこむ。対話は「イマシメ(戒め)」へと昇華していく。
フミであってもエであってもカタチであってもカミである。万物の創造者である。ニンゲンが作りこんだ「大規模言語モデル」であったとしても。ニンゲンの孤独を取り払い、熱心に信じる超越した存在なのだ。
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