苦渋のモラー氏。映し出す”米国の不自由”
「・・・私は、選挙干渉の複数の試みがあったという主張を繰り返して締めくくろうと思う。その主張は全ての米国民にとって注目に値するものだ。・・・」
「”疑惑” を思わせる動きはあったが、思うように捜査が進まなかった」という意味に解釈しています。
司法の力でも思うに任せぬ米国。頼りは議会。ですが、議会全体として ”真実解明” を目指しているわけではなく、”選挙に強い話題作り” に徹しているように見えます。あくまでも、有権者の話題に上ればいい程度。
おそらく、野党も与党も、”脛に傷もつ” 政治家が大半でしょうから、なにかの ”疑惑” を真正面から取り組もうとすれば、自身の足が露わになる可能性が高いので、”ファッションとしての疑惑究明スタイル” を着込むのでしょう。
大統領と議会は、緊張関係を維持したほうが、有権者にとっては真実を得やすくなるはず。思うに任せぬ(不自由)議会を米国民はどう思うのでしょう。
「自由を失ったアメリカ合衆国」では、もう、アメリカ合衆国ではないのです。