そこが問題じゃない、核兵器は

核兵器が問題なのは「核の応酬」が止まらないことだ。無論、残留する放射線による被害の甚大さ、生物遺伝子への深刻な影響、その他、核兵器が引き起こす現象は枚挙に暇がない。

戦う者たちが生き残っている間は「やられたらやり返す」。持てる最高の兵器で破壊の限りを尽くすだろう。

核兵器の抑止思想(コトバンク参照):抑止とは〈相手が受け入れることのできないほどの有効な反撃が行われるという恐怖心を相手に起こさせ,その敵対行動を防ぐ措置〉(アメリカ統合参謀本部《軍事用語集》1979年版)と説明されている。
(1)敵はわれわれがその行動をとる能力があることと納得し
(2)敵が得る利益よりもその行動をとることによる損害(コスト)の方が大きいことを知らせ
(3)われわれが主張したとおり行動する意思をもっていること
の3点が重要されている。
1970年代後半になって米ソ間の核戦力が均衡するのにともない,通常兵力による侵略の危険性がいわれ,この侵略に対抗して核兵器使用の危険性を低めるためには通常兵力の増強が必要だとする,〈通常兵力による抑止conventional deterrence〉の概念も提唱されるようになった。

コトバンク 核戦略-43703

つまり、核兵器による抑止が効いている間は、通常兵器による現状修正を試みる戦争が絶えないということだ。事実、現在を監察すればそれが現実であることに気づく。

核抑止論は,核兵器の巨大な破壊力と殺傷力によって相手を威嚇し,恐怖心を抱かせることによって,相手の行動を思いとどまらせる心理的ゲームである。威嚇や恐怖という心理状態はきわめてあいまいで,どの程度の質量の核兵器をもって威嚇すれば相手がどの程度の恐怖心を抱くかははっきりしない。恐怖心の量は,相手の心理状況や社会構造によっても大きく異なる。恐怖心には上限はないから,相手に与える恐怖をできるだけ大きくすることが必要になる。核兵器の増強によって相手の恐怖心を大きくしようとすればするほど,相手も同じように核兵器の増強を図っているに違いないという恐怖心が生まれ,それがいっそう核兵器の増強に走らせる。
核兵器が〈使われない兵器〉となると,抑止の効果はあげられない。このために実際に使えるような戦略と核兵器が必要となる。限定的な核戦争の戦略がつくられ,核兵器も都市,工業地帯を攻撃して大量殺戮や大量破壊を行う戦略核のほか,局地的戦闘に使われる核砲弾,核地雷,核爆雷,短距離核ミサイルなどの戦術核兵器が開発されてきたのはこのためである。核抑止を強化しようとすればするほど,核兵器を現実に使える戦略と,核攻撃の被害を局限して現実に使用できる核兵器が必要となる。核抑止論は,核兵器は戦争の抑止のためで,現実に使用する兵器ではないと主張しながら,核兵器を現実に使用できるようにしなければ核抑止を強化できないという矛盾を内包していた。

コトバンク 核戦略-43703

現在は、「核兵器を現実に使用できるようにしなければ核抑止を強化できないという矛盾」の中に居る。

よって、「通常兵器で現状修正を試みる」のであれば、同時に核兵器を使える状態にするということになる。ロシア大統領の行動と一致するのだ。

その他、相手に脅威を与えたい規模の小さな国々はひそかに核兵器を保有し「使える核兵器」に昇格させるために多大な国費を投入する。もはやそれを隠そうともしなくなった。北朝鮮を代表とする国々は、核兵器を持つということ自体「世界から許されている」という認識に至っている。

米国軍に護られるという「核の傘」はどこまで有効か。核兵器を持たない「核の傘を持つ国々」は核兵器を持つ周辺国の脅威にどこまで耐えうるか。「米国議会や米国大統領の意思次第」の中で、自主自立を保つことができるか。

核拡散の闇が世界を覆う。核抑止論は通常兵器を強化する。どこかが通常兵器による戦争をエスカレートして1発の核兵器を打ち上げた瞬間、敵がなんであろうとどこであろうと「核兵器の応酬」が始まってしまうのだ。そこが、問題なのだ。

#日経COMEMO #NIKKEI

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