妄想:帝国の足跡を追うべき
*****(以降、主にWikipediaから抜粋・参照)
(筆者)神代や伝説を除けば、漢帝国・唐帝国・宋帝国・明帝国・清帝国と政権が300年以上続く大国時代が5回あったことになる。
影響範囲
・清帝国(1616年 - 1912年)
・明帝国明帝国(1368年 - 1644年)
・宋帝国(960年 - 1279年:北・南を含む)
・唐帝国(618年 - 907年)
・漢帝国(紀元前206年 - 220年:西・東含む)
[ 筆者:ちなみに、高句麗:(紀元前1世紀頃 - 668年)の最大と思われる影響範囲は、以下の通り。
そうすると、大陸に大帝国が現れるたびに、高句麗が侵食されていることが見て取れる。
新高句麗ともいえるあの勢力はロケット兵器に核兵器と、威嚇できるものは何でも所有する異様ともいえる意欲の根源がここにあることがうかがえる。
大陸指導者にとても従順で、現在の勢力を維持するために骨を折る。だが、大陸情勢には極めて敏感であり、自主独立が願えなければどんな手段でも使って生き残ろうとするだろう。北の極寒の国とのつながりは安全の担保として存在する。]
朝貢
主に前近代の中国を中心とした貿易の形態。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が確かに君主であると認めて恩賜を与えるという形式を持って成立する。なお、周辺国が貢物を捧げることを進貢(しんこう)、皇帝がその貢物を受け入れることを入貢(にゅうこう)という。
周辺異民族と敵対して多額の防衛費や軍事費を負担するよりも、朝貢を受けて回賜を与えたほうが安上がりであるという現実もあった。仮に周辺の異民族を討伐して支配下に置いたとしても、生産性の低い地域に支配領域を広げるだけであり、税収よりも軍事支配のためのコストのほうが上回る。つまり朝貢は中国政権にとって経済的に優れた安全保障システムでもあった。 朝貢国にとっても、自分のみが正式な王であることを認められる上に、通常は貢物に対して数倍の価値の回賜が与えられたため大きい利益があった。また朝貢に来る使節の人員に対しても多額の褒賞金が与えられたために、経済不振になった中国王朝では費用削減のために朝貢の回数を制限することもあった。
日本:遣唐使を送っていた当時の日本では日本側は「中国と対等貿易を行っていた」とし、中国側は「遠国である事に鑑み、毎年の朝貢の義務を免じた」としている。 漢字文化圏に包含された冊封国からの朝貢は経済的な利益にとどまらず、書物の購入、情報の入手など、社会・文化的な利益も伴った。
[ 筆者:さて、大帝国をごく少量・短く追いかけてみたが、どうしても「朝貢」という文言から離れられない。現在の貿易を考えてみても「21世紀の朝貢」とも思える流れなのだ。
大帝国にしてみれば、「王化思想を基調として周辺諸国の夷狄たちが、『中国の徳を慕って』朝貢を行い、これに対して回賜を与えるという形式」をとっているに過ぎないのかもしれない。「いうことを聞かない夷狄は滅ぼす」というスタンスは現在に至っても変わりはない。
タイワンはどうか、フィリピン、ベトナム、リュウキュウはどうか、東シナ海は、南シナ海は。
華夷秩序:中華思想:漢民族が古くから持っていた自民族中心主義である。自国の美称として夏、華夏、中国を用い、王朝の庇護下にない化外の異民族もしくは非漢民族を文化程度の低い夷狄(蛮族)であるとして劣位へ秩序づける。
劣位と置く国々や地域。その各々が数珠のようにつながれば、中華は囚われの身となる。その状態で勝ち誇るように「いうことを聞かなければ・・・」、だが、そうはなるまい。未曽有の大混乱の中で、アジアは疲弊していく。各々が軍事に重きを置きすぎて、経済が成り立たなくなるのだ。 ]
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様々に課題を抱えるアジア。現在の大帝国が多種多様な国と地域とどうつながっていくのか。栄枯盛衰、わが身だけ偉丈夫だとして華夷秩序を押し付けようとしても衰退を招くだけだ。柔軟に身をほぐすことを先に手掛けてほしい。その柔らかさは周辺を柔らかくする。そう、妄想した次第。