”経済焼け野原” から復興するには、妄想しかないのであります
日経ビジネスさんは「・・・所得倍増より、”希望”・・・」と宣わっております。わたしは、”希望” を ”妄想” に変えてみました。
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生産と消費と生活。三つの役割を持つ人間。
「生産の報酬で消費を拡大し、”夢の生活”を手に入れる」、それが昭和だったと思います。つまり、生産+消費<生活 が成り立っていた。
平成は「生産はあれど組織防衛のために内部留保を厚くし、少ない報酬で ”そこそこの生活” が最重要」であったと振り返っています。これは、生産-消費>=生活 ということでしょうか。
令和はどうか。「生産は自動化で組織防衛を引き続き優先し、報酬はベーシックインカムと利益貢献度で支払われ、生活はコト・空間・トキ重視で ”ココロ快適” でよろし」となりますかな。(生産)∞(消費:生活)。
生産は無限大となり、消費と生活が拮抗する。生産の利益はベーシックインカムの基礎となり、余剰は利益貢献度報酬となる。消費は ”快適が売り” となり、人々は ”今日の快適、明日の糧” として生活をしていく。
そのすべてが「最適化」を司る ”マザーコンピューター” が采配するのでしょう。どの国が ”マザー” となるか。その覇権をめぐって、量子コンピューターやDNAコンピューターなどの研究開発に投資し没頭していく。覇権を握れば、”世界政府の大統領”として振舞えます。
個人情報は ”つつみかくさず自身をマザーへ差し出す” のが当たり前となります。そうしなければ「最適な快適」を得られません。
”マザーに適合した人間”。それが、未来の人間像。そんな妄想をしてしまいました。それが、コロナ後の経済回復につながるのか・・・「無意味」かもしれませんが、気になってしょうがないのです。
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自身の過去を覗いてみると、どうも、似たような投稿を何度も書いているようです。「気になってしょうがない・・・」のでしょう、また、妄想してしまいました(笑)。性懲りの無さは、遺伝なのかもしれませんが。
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