妄想:日本人にある尊敬の念

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「ゴジラ1.0」を見た。印象に残ったのは、終わりに近づいたころの話だ。ゴジラは民間の防衛隊により海に沈められる。その時、旧軍人たちはいっせいに敬礼をする。東京で何万人と殺戮を繰り返したあのゴジラにである。

畏敬:崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。
尊敬:その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。

悪を徹底して憎むのでもない。再び災いが降りかからないよう、今、生きている人間たちができること。それが「敬礼」だったのかもしれない。何万人もの死を生み出せるモノゴト。決して、争いごとを奨励しているのではない。だが、底知れぬ何かが人の命を奪っていく。ゴジラは天災でもあるのだ。災いが去っていくとき、日本人は敬礼で応えていくのかもしれない。

わたしの住んでいる過疎地には「敵」を祀っている箇所がいくつかある。「ふたたび熾り出さないように」と願いを込めて祀っている。今ある神社仏閣は縄文時代以前からあった「おそれ」の場所であったと思う。時代が下って、人々が祈る場所を時の支配者が乗っ取れば「支配者を敬う」ことに通じるのだろう。そこで出来上がったモノゴトが伝説として今に伝わっている。だが、底流には「おそれ」があり、「ふたたび熾り出さない」願いがあるのだ。

領地を護る支配者に尊敬を表しながらその場所でお辞儀をする。戦乱の中で支配者が変わってもその場所でお辞儀をする。先祖代々受け継いだ地で生き延びる。そのために「おそれ」は絶対的に必要な根っこなのだ。

支配者に領民(働き手・女・子供)を差し出す。侵入者にも差し出す。「おそれ」とならないように言い含めながら差し出す。その人たちは連れられた先であらたな根っことなって何世代も支配者に差し出す側となる。

支配者は大自然でもある。わたしの住むところには人が立ち入りやすいところに滝(高さ10~20m程度)がいくつかある。その昔、時期になると人身御供として滝の上から黄泉の国へ旅立たせる儀式があったようだ。

この小説の時期にも伝説はあった。滝の上に耶蘇の人を絶たせ改宗を迫る。だが、人身御供であることそのことがその人たちの希望であった。

フランシスコ・ザビエルは来日前、日本人のヤジロウとの問答を通してキリスト教の「Deus」を日本語に訳す場合、大日如来に由来する「大日」(だいにち)を用いるのがふさわしいと考えた(Wikipedia参照)。大日如来と隠れキリシタンのつながりの始まりなのかもしれない。ある意味、支配者が変わり「でうす様」が乗っ取りに来たともいえる。

日本にはない「チカラ」を宿す「耶蘇」。その力によって儀式的な戦乱を混乱に変え日本の天下布武から大陸にまで戦火拡大を生んでしまった源となる。その力の応用に日本の防人たちは抗えなかった。

同時に戦乱につかれた人々は「救い」を求めるようになる。戦乱が再び熾らないような平穏な時を求めていた。「でうす様」は絶対的な力で乱れを平らにする。そのために十字架を背負ってすべての罪を負うように処刑される運命の人を世に送り出す。その尊さに圧倒されながら、「自らの力で平穏にできない『罪』」を負わせようとするかのようにその存在に「救い」を求めたのではないか。

改宗より人々の罪を背負うことを選んだ。それが、あの伝説の要旨ではなかったか。処刑人は「死なしてやりなさい」といったようだ。滝の上に立てない「罪びと」はひたすらに祈る。涙が枯れ果て頬に塩の粉がふこうとも、何日もその場で首を垂れる。

今は、人身御供はない。人々の罪を背負う儀式もない。ただただ、見た目の勇壮さを演出する伝統しか残っていない。小説の城下町は、山に茂る厄介な竹を利用して竹灯籠をいくつも作り、夜の城下町を照らし出す。おだやかであってにぎやかでもある。その順路の先に隠れキリシタンゆかりの場所がある。

岡城の基盤を作ったとされる平安末期の武将がいる。平家物語にも出ている人だ。わたしの想像では「なにかの手違い」で宇佐神宮を焼き払い、それが平家の滅亡の扉を開けたのではないかと思っている。源の義経を迎えるために用意した要塞が岡城だと聞く。

その武将は頼朝の裁量により今の群馬県沼田の庄に改易となって解かれて地元に戻る途中に落命した。頼朝の家臣団が代わりに今の豊後大野・竹田の入り、在郷の武士団と交わりながら戦国まで九州で活躍したが、小説のとおり、中川家の支配に代わる。

この地には、石仏がいくつかある。溶岩後をくり抜いた石仏が多い。その石に現れた大日如来。なぜか、江戸時代に薬師如来に変貌したのだという。平安末期の作が多いと聞く。鎌倉時代に移る戦乱期と戦国から江戸時代に移る戦乱期と、人々の平穏無事の願いを聴き入れ続けたのだろう。願う人々の「罪」を負いながら、不動の人身御供となって昇天していく。

時に大日如来として、時に「デウス様」として。

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次の連休あたりに、一度お越しください。縄文先史からつづく土地です。ゆっくり滞在してくだされば、何かを発見することも多いと思います。「ゆっくり、よこうちくれなぁ。すもっつくれんところじゃけんど。湯もサウナもあるで」



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