次世代資本主義:人類最後は手工業
生産性の向上。一番期待できるのはプログラミングかもしれません(笑)。
情報処理以外の産業の生産性を上げるためにプログラミングが欠かせない。そのプログラミングは人に由来する産業。
リスキリングの行く先が何らかのプログラミングにつながっている気がします。生産性を上げるために、最も生産性の劣る仕事へシフトしていく・・・?
コンピューターが量子へ向かうとしても、向かう途中は人が手工業的生産で担う。最後の最後まで、人は手で生産していく。
もちろん、最新のプログラム生産方法は、人工知能などによる自動生産に移りつつありますが、なぜか、どこかで人が介入してくる。ゆえに、人にしか改修できない要件をあえて埋め込んでしまう。そこが、人出不足となって、生産性を落としてしまう。
情報処理以外の産業生産性が高まって、情報処理の生産性が劣ってしまうっていうのは、本末転倒。
けれども、ここを改善してしまうとリスキリングの行く先が見えてこない。
どのみち、人間に残された仕事は手工業であるのなら、人間が人間を需要と供給のなかで回していく、非デジタル介助産業を興していくしかなさそう。
非デジタル介助産業とは何か。おそらく、"おしゃべりと手のぬくもり" で経済を回すということに尽きるかもしれません。
"おしゃべり" とは情報通信のこと。たがいに情報を交換し合って、なにがしかの価値を見出し、価値で自身が前進できて、そのお礼を言いあうこと。媒体は ”それができる何か” でよいのでしょう。
"手のぬくもり" は、本能として "あたたかい" と感じとれる接触。それは、おしゃべりから得られてもいいし、”それができる何か” でよいのでしょう。
"それができる何か" が、「どこでも稼働する自律型自動プログラミング」だったりすると、非デジタルでなくなっちゃう。法律で禁止する?
経済を回す人間のスキルって何?
この話、尽きることがありません。なぜなら「人間のスキルなんか必要がないミライ」になりそうだから。だから、なんでも "禁止" して、人間の必要性を維持しようとします。そうすると、デジタル化と反比例して生産性は退化していく・・・。
人間が需要と供給の中でいきていける「次世代資本主義」は、手工業である。それが、この話の結論でした・・・ちゃん、ちゃん。