
Openまでのこと①
日本でお店を開くと決めたのは
2023年の5月。
約2年ぶりに、息子が産まれてからは初めて日本へ
旅行に行った時に、夫の中で
「日本でお店を開きたい」という想いが
強くなったらしく
寝ても覚めてもそればかりを言うようになりました。
私は、2019年に大好きだった職を辞め
韓国へ移住するときに、本当に沢山のことたちと
「さよなら」をして日本を離れたので、
自分が再び日本に戻る未来を
想像したことは一度もなかったし、
それくらいの覚悟を持って
韓国での生活を送っていました。

馴染めないのなら、馴染めないと感じる訳や
距離を置いてしまう訳について
どうしてなのかな?と突き詰めて考えて
苦手だと感じるのなら、
得意だと思えるまで何度でもぶつかる。
そういう方法で、何でも、何度でも
自分でチャレンジしながら
母国を離れ、暮らしていたわけです。
だから最初は、夫の意見には反対の姿勢でした。
けれども、夫の背中をこうも押したのは
私がいつか、何気なく呟いた
「歳を取ってから、いつか日本で暮らすのも良いかもしれないけど、60歳のあなたと35歳のあなたが感じることも、出来ることも、きっと180度違うと思うよ」という言葉だと言うので、それはもう
自分の発した言葉の責任をとるしかないな、
という気持ちで、日本行きを決めたのでした。
私が折れて、私が努力することによって
夫の人生が今よりももっと生きやすくなったり
豊かになるのなら、それよりも嬉しいことはないな
という想いが強かったのと
何より自分たちのお店を開くことは
私たち夫婦の夢だったからです。
そもそも私たちは、結婚前から
自分たちのお店を開くことを夢見ていました。
まだまだ、もっと先になるだろうと思いながらも
常に先を見据えてお金も貯めていたので、
本当に急に決まったけれども、なんとかなるくらいの知識と、経験と、資金はありました。
そんなこんなで、
日本へ行こうと決めた時に
思わず買いに走った本があります。
"우리들의 파리가 생각나요"
意訳するなら、「私たちのパリが恋しくなった」でしょうか。
「自分は今、世界ではどのくらいのレベルにいるのか確かめたい」と言う画家であり、夫であるキム・ファンギのために、フランス語を勉強し、ビザをとり、一人で先にパリへと渡って個展の準備を進める妻のお話(実話)です。

私はこの本を、韓国生活にちょっと行き詰まっていた頃に尊敬する知人から教えてもらい、知りました。
西村のカフェで、彼女が今読みすすめている、と教えてくれたのがこの本で、その当時もこのご夫婦の生き方にとても感銘を受けたものです。

「自分の想い描く環境がないのなら、自分で作ればいい」というのも、この時に教わって、それからずっと大切にしていることのひとつです。
最近になって、私はまた本棚からこの本を
引っ張り出してきて読んでいます。
そうして、冒頭から泣いてしまったりしています。