【深い社会】17 新教育で国家を作ろう①(クルプスカヤ)
デューイをはじめとする、アメリカで巻き起こった新教育運動。
それは、同時期に世界中で起きた運動でもありました。
世界の実践家たちは様々な実験的取り組みを行い、その成果を紹介し合いました。
日本でも大正時代に新教育運動がおこっています。
素敵な時代ですね!
いやいや、実はそうでもないんです。
世界の産業が工業化を目指します。産業革命です。
人口が都市に集中します。
すると、どうしても貧富の差が生まれます。
そして、人々の道徳的荒廃が問題となるのです。
当時の教育者は、荒れた子供たちを前に、途方にくれます。
「今までのような、『教授』を基本とした指導では立ちいかない・・・」
「どうすればいいんだ!」
あ・・あれ?なんだか今とそっくりです。
途方に暮れた教師たちが様々な教育改革を進めます。
それが世界的に流行した新教育運動なのです。
デューイの主張
「学校で学んだ者が、社会を変革していく」に、反応したのが、
ソ連を作ったレーニンの妻、クルプスカヤです。
クルプスカヤ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナデジダ・クルプスカヤ
クルプスカヤはもともと夜間学校の教師でした。
ロシア革命以降は、レーニンを補佐しながら、ソ連の教育分野を担当しました。
このクルプスカヤが、なんとデューイの大ファン。
アメリカで起きた新教育に注目し、学校の在り方を分析します。
そして、そのままソ連の学校づくりに生かそうとしました。
デューイにも何度も手紙を書いて
「がんばってるからぜひ、見に来て!」
とアピールしています。
「学校は生徒とは無縁なものとなっている。
学校が生活から恐ろしく遊離している。
学校は文法や歴史その他を一人で教えており、
生徒は複雑な問題を一人で抱えている。
生活が提起し、切実に解答を求めているような問題は、学校の教授要目にはいっていない。
だから、生徒はそれらの問題を自分なりに解かなければならない。
ところで何と、理論のうえでは、学校は生徒を生活へ準備するといわれているのだ―まったく『生活への準備』ということがきわめて狭く理解されている。」
学校は子どもが社会へ出る準備とされながら、
社会に出たときの問題解決については全く教えていない。
クルプスカヤはするどく当時の教育を批判しています。
デューイの主張と全く同じです。
クルプスカヤは学校自治を大事にしました。
「子どもはその誕生の一年目からして、他の子どもと共に生き、
遊び、仕事をし、喜びと悲しみを分かち合わなければならない。」
「この共同の生活は、できるだけ多様で、楽しく、豊かな印象を与えるものでなければならない。集団的な体験は、子どもの中で一連の楽しい情緒と結合されていなければならない。」
「そのような集団的な生活が、社会的本能の強く発達した人間を形成するのである。」
その上で、クルプスカヤは、
子どもたちが学校で共に学び、集団生活する中で、社会とつながっていくような、
学校づくりを進めていきます。
クルプスカヤが学校と共に注目したのが、学校外の活動、ピオネール運動です。
ピオネール運動とは、ロシアでのボーイスカウトです。
「開拓者」と言う意味を持っています。
労働者が働きます。
父も母も忙しい。
子どもはほったらかし。
当然、非行に走ります。
そんな子たちのためにピオネール活動を用意します。
遠足やキャンプファイヤー、朗読やスポーツ、遊びなどに親しむ中で、
友達とのかかわりの喜びを知ります。
さらに、奉仕活動や青年団の仕事を手伝う中で、労働者として協力することの大切さを知ります。
このように構成主義的に、社会の構成員としての資質を高めようとする教育を、
集団主義教育と言います。
すばらしいじゃないですか。
集団主義教育。
日本人の心性にもぴったりと合います。
さて、このあとソ連の集団主義教育はどうなったのでしょう。
ソ連の教育を語る上で、もう一人の人物を紹介します。