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【深い社会】11 労働者たちの夢は、花火のように②

レーニンの後継者候補は2人いました。

スターリンとトロツキーです。
スターリン
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨシフ・スターリン
トロツキー
https://ja.wikipedia.org/wiki/レフ・トロツキー

スターリンはソビエト政府の書記長です。
トロツキーは軍隊を統括しました。

さあ、どちらが後継者にふさわしいでしょうか。

レーニンは1922年に脳梗塞になり、命の危機を感じ取り、遺書を書きます。
以下要約です。


スターリンは、書記長となったのち無限の権力を自分の手にした。
しかし、わたしには、彼が慎重に権力を行使できるかどうかについて確信がない。

トロツキーは、卓越した才能という点で抜きんでているだけではない。
彼はおそらく現在の中央委員会のなかで最も有能な人物である。
しかし、あまりに自分を過信し、物事の行政的な側面に過度に熱中しやすい

スターリンはあまりにも粗暴である。
そして、この欠点は、われわれ共産主義者の仲間のなかでは、我慢できるものではあるが、書記長の職務にあっては我慢できないものになる。

よって、スターリンをこの地位から更迭し、
もっと辛抱強く、もっと誠実で、もっと丁寧で、もっと親切で、気まぐれでない人物をこの地位に任命する方法を熟考することを、わたしは同志諸君に提案するのである。


つまり、どちらもふさわしくないと書き残したのです。

結果どうなったか。

レーニンの死後、
この遺書を公開することをスターリンは禁じました!(え?)

トロツキーにレーニンの葬儀の日をウソの日付で知らせました。(ええ!)
結果、トロツキーは葬式に出れず、スターリンは自らがレーニンの後継者であるとみなにアピールします。

そして、トロツキーなどのライバルたちの、悪口を広めて、少しずつ役職から外しました。
さらに、民衆から人気のある人材が出てくると、スパイを使って暗殺しました。
(えええ!)
しかも証拠を一切出さずにです。

その上、その犯行をトロツキー一派に擦り付けます。
トロツキーは国外追放となります。

さらに、さらに、反対派に対して裁判を起こし、逮捕、処刑し始めました。
当時の政府、139人のうち、98人が処刑されました。
党大会の会員、1956人のうち、1108人が処刑されました。
(えええええっ!)
レーニンの妻、クルプスカヤも暗殺されたと言われています。
(食中毒で死んだのだけれど、同じ食事をとって他に死んだ人はいないらしい・・・)

スターリンに反対の立場をとったものは、すぐに「人民の敵」とされ、
すみやかに逮捕、処刑されました。

普通のソビエト国民、
労働者、
農民、
教師、
学者、
司祭、
音楽家、
軍人、
年金受給者、
バレリーナ、
俳優、
作家、
乞食、
が処刑されました。
さらに、これらの処刑に協力したものも、無実の罪を着せて処刑しました。
(えええ!、えぐ、ごほごほ・・・)

外国から来た支援者も、外国にいた協力者も、拉致して処刑しました。
日本人も、共産党に所属した複数名が行方不明となり、のちに処刑されていたことが分かっています。
(ぐぐぐぐぐ、ぐふっ(涙))

処刑に次ぐ処刑。
処刑、処刑、処刑。
最終的に、200万人が処刑されました。
(チーン・・・・・)

これを大粛清と言います。

スターリンのそばは、YESマンだけになりました。
スターリンの「プロレタリアート独裁」はこうして実現しました。

お、お、おそロシア~!

労働者たちの夢は、花火のように・・・・はかなく消えていきました・・・。

さて、スターリンは運よく外国へ脱出したものも、暗殺者を繰り出して処刑していきます。
第一のターゲットは、なにより、ともにレーニンを支えたトロツキー。

大粛清を正当化するために、外国人を招待して、モスクワで裁判を行います。
とうぜん、すぐに有罪にして暗殺しようとするのですが・・・・・

なんと!
ちょっと待った!と
トロツキーを弁護しようと立ち上がったアメリカ人がいました!
その方、御年78才!

「トロツキーは無罪だ!」
「モスクワの裁判はおかしい!」

さて、このお年寄り、一体誰でしょう。

その名は・・・・なんと、われらが社会科の生みの親!

「ジョン・デューイ」その人です!

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