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【深い社会】18 構成主義教育で国家を作ろう②(マカレンコ)
授業中立ち歩く子、
教師の話を聞けずしゃべってしまう子、
友達に暴力をふるう子。
どのように声掛けしますか。
「太郎さん。みんなが迷惑してますよ。」
おそらく、そんなことを言います。
私たちは道徳的根拠を集団に求めることがあります。
日本人には当たり前の感覚かもしれません。
「あなた、空気読めないね。」
そんな言葉も生まれるほどです。
その当たり前を作った人物がいます。
ある一人の小学校教師。
名前をマカレンコと言います。
マカレンコ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3
マカレンコはロシア帝政の下で小学校の教員をしていました。
当時、帝政による産業革命により、貧富の差が生まれていました。
マカレンコが赴任した小学校は、工場のそばにありました。
貧しい労働者たちは我が子の教育にまで目が行き届かない状況でした。
そんな厳しい社会状況・学校状況の中で、マカレンコは情熱を燃やしました。
学校では文学教育で子どもの生きる力を育てようとしました。
学校が終わったあとも、食事の後に子供を学校に集め、劇の練習をしたり、詩の朗読をしたり、かくれんぼをして遊んだり、子供中心の教育を続けました。
その後、寄宿舎の舎監になったり、大学に戻って研究したり、革命軍に入ったりなどの曲折の後、教育職に復帰。
その後、ある仕事につきました。
非常に難しい仕事です。
それは、孤児、浮浪児を集めた教育施設です。
ジェルジェンスキー・コムーナと言います。
第一次世界大戦により、ロシアではたくさんの孤児が発生しました。
行き場のない彼らはストレートチルドレンとして生活していました。
愛着に問題を抱えた子供たち。
家族を失い、大人を恨み、社会を恨む子供たち。
なかには行為障害を起こし、反社会的行動に走っていきます。
そんな子どもたちを集め、教育せよというのです。
マカレンコはどうしたか。
まず、子どもたちをグルーピングしました。
7名から15名の間で、隊を作りました。
学習の際は、年齢別ですが、それ以外は年齢別にはしません。
年齢別にすると学校の関係で閉じてしまうからです。
隊の年長者の中でリーダーを作りました。
リーダーは隊のすべてに責任があります。
時間を守るよう声掛けします。
学習が遅れている子を助けます。
生産活動の遂行に責任をもちます。
秩序を守るよう声掛けします。
言葉遣いを正しくさせ、けんかの仲裁もしました。
リーダーを集め、代表者で会議を行い、日々の問題点について話し合わせました。
(あれ?代表委員会?)
次に、生活の改善です。
衛生委員会を立ち上げ、医師・職員・子どもの衛生委員を所属させました。
そして、部屋、衣服、食事などを清潔に保つよう管理させました。
保健業務として、応急手当、病人の隔離・保護、歯の検診、眼科検診なども行います。
伝染病を防ぐため、害虫の駆除、定期的な権益も行いました。
(あれ?保健委員会?)
特徴的なのは、日々の衛生管理について衛生委員に報告をさせたことです。
1か月ごとに報告させて、隊同士で競争させました。
すぐれた隊には、写真、花、家具などをプレゼントしました。
遅れた隊については、整とん係をさせて、総会で弁明させました。
さらにマカレンコは自治的集団を作っていくために、
集団生活するうえでのルールを作らせ、それを守らせました。
(学級会!)
ルールを作る上でいつくかの原則があります。
①ルールは明確な意味がなくてはならない。(合目的性)
きちんとそのルールの趣旨を説明しなくてはならない。
②生活のルールは正確でなければならない。(正確性)
朝食の時間を決めたら、きちんと守らなければならない。
ルールを守らない者は責任を問われる。
③ルールは全員で共有しなくてはならない。(共通性)
趣旨をきちんと理解した上で、全員の義務としなくてはならない。
④ルールは明確でなければならない(明確性)
あいまいな状態は責任が不明確になる。
自治機関できちんと話し合い、役割・方法を明確にする必要がある。
現代の教育から比較すると、かなり管理的に感じます。
管理的ではありますが、もともとが孤児・浮浪児たちだったことから考えると、まず生活改善、規律の徹底を行い、しかるべくして自発的な規律を求めることは理にかなっているように見えます。
さらに、管理主義的なだけでなく、文化活動として合唱、演劇、美術、ダンス、将棋や碁などのサークル活動を推奨しました。
(部活動じゃん!)
マカレンコは3つの見通しを設定しました。
1 近い見通し
賭け事や飲酒などの愉快な暇つぶしから、音楽会、読書会、演劇など価値の高い満足へひきつける。
2 中間の見通し
旅行、体験学習、清掃活動、行事への参加など、集団としての喜びに目を向けさせる。
3 遠い見通し
施設を超えて、地域の連帯、ソビエト連邦の連帯など政治的な意識を作る。
こうして、マカレンコは、孤児浮浪児たちを、国家の一員にしていくための構成主義的教育システムを作り上げました。
ん~、批判のしようがない。
さて、クルプスカヤが構想し、マカレンコが具体化した集団主義教育。
この後、どうなったでしょう。
マカレンコの教育システムはソ連全土へ広がります。
その教育システムから、共産主義的戦士「ボリシェビキ」たちが育っていきました。
ボリシェビキたちは、ソ連を受け継いだスターリンの指示を、自発的に忠実に守ります。
たくさんの人が投獄され、無実の罪の人々が処刑されました。
すべては、ソ連の夢「共産主義社会」を実現するためです。
クルプスカヤがすすめた、ソ連のボーイスカウト「ピオネール」の子どもたちも、スターリンの指示に忠実に反応しました。
飢饉に備え食料を貯蓄していた大人たちを告発しました。
告発された大人たちは速やかに処刑されます。
なかには、実の親を告発し、処刑させたピオネールもいました。
なぜ、このような悲劇が起きたのか。
構成主義を考える際に、別の原理を明らかにしなければ、
また悲劇が繰り返される可能性があります。
そして、その悲劇は繰り返されたのです。
そう、日本で。