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【深い社会】15 構成主義を射抜くプラグマティズム2本目の矢(ジェームズ)

構成主義の原理①
「概念はもともとあったものではなく、
 私たちが認識することによってつくられている。」

「私たちが認識することで概念が生まれるなら・・・」

人々は不安になります。

「もしかして・・・神はいない!?」

まあ、まあ、落ち着いて。
構成主義は、あくまでものの見方を示すだけです。
あえて、答えるなら、
「神はいるか、わからない。」

これが、経験論と大陸合理論との折衷、
構成主義の考え方なのですが、
なんと、片付いたと思った問題が別の角度からやってきます。

「私たちが認識することで概念が生まれるなら・・・」

科学者たちが怒り始めます。

「もしかして・・・科学を否定するのか!」

自然の摂理を見出し、人々の生活に応用する科学。
科学的な発見が、人類の存続を安定させ、豊かにしました。

その発見が、「思い込み」だというのでもいうのか!
そんなわけない!
1+1は、2!
人類が滅んでも、星々は動き続ける!
これは、真理だ!思い込みじゃない!

このように、人間にとって普遍的な価値は、きちんと存在しているのだ、
という考え方を「本質主義」と言います。

「神」の問題を説得できたと思ったら、「科学」に怒られたわけです。

「私の作った概念と、他人が作った概念は、違ってよいか。」
「人類の普遍的な価値は存在しないのか。」

カントの作った構成主義の気づきは、
どうしてもこの本質主義の問いをクリアできないのです。

ところが、この問題に答えを出したのがプラグマティズム2本目の矢、「ジェームズ」です。
ウィリアム・ジェームズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・ジェームズ

ジェームズはパースの友人。
女性関係、金銭関係にだらしなかったパースに仕事をあっせんするなど、
とても面倒見がよく、ソフトな人でした。
また、パースの考えをわかりやすく人に紹介したり、
教え子のデューイの考えを高く評価して、皆に広めたり、
ふんわり包み込むような哲学者でした。

もともと神学者の家系に生まれ、「神」の存在に対して身近に感じていました。
それだけに、普遍的価値をどう消化するかという点で、見識が優れています。

ジェームズは、「私の概念VSあなたの概念」問題を、次のように説明しています。

「まず第一に、我々の知識はぽつりぽつりと斑点的に生長していく。
この斑点は大きいこともあれば、小さいこともある。
知識が全面的に生長することはない。」

「われわれの心はこのように斑点をなして生長する。
そしてその斑点は脂のしみのように、広がっていく。」

「しかし、われわれはこれを広げまいとする。
われわれの古い知識、偏見や信念をできるだけ変えないようにする。
新しいのと取りかえるより、むしろ、つぎはぎしたり、つくろったりするのである。
新しいものがしみ込んで、古い知識にしみを付けていくが、
新しいものもまたそれを吸い込むものの色にそまる。」

「このように、新しい真理は、新しい経験と古い真理とが結びついて
相互に修正し合った結果なのである。」

「つまり、事物についてのわれわれの根本的な考え方は、
遠い遠い昔の祖先が発見したものであって、
その後のあらゆる時代の経験を通じて保存されることのできたものである。」

ジェームズは、構成主義が生み出す概念は、
いま生きている人々の間で生まれるだけでなく、
過去の人々との間にも生まれてくるものなのだ、と主張しました。

すると、人類の生み出した概念「神」を否定する必要もなく、
人類の知的産物「科学」を否定する必要もなく、
過去の人類とコラボレーションして新しい概念を生み出していくことになります。

イメージとしては、地図作りがよいかと思います。
私は私の経験に基づき、自分の家の近くの地図を作ります。
あなたは、あなたの経験に基づき、あなたの家近くの地図を作ります。

ときに、昔の先輩たちが作った地図を参考にするでしょう。
もしかしたら、未来の後輩たちが私たちの地図を参考にするかもしれません。

私とあなた、過去の人類と未来の人類。
みんなが作った地図を寄せ合って、つなぎ合わせて、一枚の大きな地図が完成する。
そうしてできたのが、人類の「普遍的価値」。

まさしく、ふんわり構成主義!

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