Aさん親子の物語
これは、私の知り合いのAさん親子の物語です。
全てを知っているわけではないし、幼少期のことは特に曖昧な部分もありますので、ところどころ間違っているかもしれないけれど、私が知っていることを客観的に書いたものです。
幼少期。Aさんがまだ幼稚園の頃だったと思います。両親が離婚して、Aさん自身が選んだのもあるけれど、父親に引き取られ、父方の祖父母と同居しながら育ちました。
一家の大黒柱として働く父親は忙しく、その父親に代わって、祖父母がAさんの子育てをメインでしていました。ただ、Aさんも祖父母もそれぞれに気が強く、ことあるごとに衝突していました。(ちなみにAさんの実母はその後、Aさんの父親の親族?と再婚しています)
そんな中、父親は忙しく働きながらも、数回の再婚、離婚を繰り返し、いわゆる
”複雑な家庭”
で育ったAさん。中学を卒業し、高校進学まではそれなりに順調に育っていました。高校も近場ではそれなりの進学校でした。ところが、ほどなくして高校を中退してしまいます。
そこからは、酒にたばこに男にと、褒められた生活をしていなかったので、相変わらず祖父母との衝突はあり、Aさん自身が大きくなったこともあり、その衝突が度を越えて、警察を呼ぶ事態も何度もありました。
それでも自力で稼いで生活はしていたのですが、30を過ぎたころ、妊娠が発覚します。
大人の男女のことなので、詳しくはわからないけれど、結婚もせず出産を望んだAさん。当然、周囲の人間は大反対をします。それでもその反対を押し切って出産したAさん。そんな大反対を押し切ってまでした出産だったので、今までの態度を改めて、母親として真剣に子どもと向き合っているかというと、全くそんなことはなく、生後2か月の娘を80にも近い祖父母に押し付けて、Aさん自身は男のところに居候をしたりと、結局なにも変わりはしませんでした。
Aさんは子育ての中で、娘のBちゃんを、体操教室に通わせたり、お勉強のお教室に通わせたりしていました。Bちゃんは習い事をすることで、人より優れていることをBちゃん自身も得意げに思っていました。また、家事もたくさんさせることで、Bちゃんは年齢にしては家事スキルも高く、Aさんもとても助かっていました。が、保育園から体調不良でのお迎え要請が来ると、迎えにはいくものの、病気のBちゃんはそのまま祖父母宅へ
「よろしくね~!」
と何のためらいもなく預け、仕事なのか、男遊びなのか、我関せずな様子。祖父母も年を取ってきているし、2人ともそれぞれ病気をしたりで、大きくなっていくひ孫の面倒を見るのは、心身ともに大変でした。それでも何とかBちゃんの小学校入学も見えてきたころ、Aさんの再婚が決まります。
再婚後、ほどなくして2人目の子どもが未熟児でしたが、無事生まれます。すると今度は家事だけでなく、Bちゃんに下の子のお世話もやらせ始めるAさん。おむつの取り替えもなんのその。親に代わって、かいがいしくお世話をしてくれます。
そして今、Aさんは3人目の子を妊娠中です。2人目の子は未熟児で生まれ、しばらく保育器で育ったというのに、どういう解釈をしたらそうなるのか、2人目の時も大丈夫だったからと、妊娠中の今も酒たばこは辞めず、子どもたちに何かあれば相変わらず、もう80を過ぎた自分の祖父母(子どもたちから見たら曾祖父母)に
「よろしくね~!」
と、子どもたちを預けていってしまいます。また、Bちゃんは今小学1年生ですが、家事ができたり、下の子のお世話ができたり、学校より学習が進んでいたりと、大人びた面もありますが、反面、癇癪がひどく一度始まってしまうと手のつけようのない状態になってしまいます。
しかしAさんは知りません。祖父がもう先が長くないこと、祖母が認知症を発症していることを。
Aさんの子育ては、祖父母に依存しきっています。今の旦那さんも、それはAさんと同じスタンスのようです。これからますます育っていく子どもたち、人生を終えていく方向の祖父母、この先の物語が、せめて子どもたちにとって幸せな方に向かうことを祈ります。
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