限界集落の片隅で #こんな学校あったらいいな
産まれた時にはもう電車に乗る為にバスや自動車やバイクが必要で、義務教育ですら遠方の場合は送り迎えが必要な場所。
子どもの足で行けるのは、ごくごく限られていた。あちこちで、誰々さんちの娘さん息子さんだよネと声をかけられるのが普通で当たり前で、私は何よりもそれが嫌だった。
学校を選択できる自由がない。そんな場所に住んでいたので、学校という存在そのモノに辟易していた。
そもそも選択できる学校は、義務教育を過ぎてから選ぶもので、ついでに言えば、それすら行かなければいけないドナドナされる様な場所という認識だった。
交流と称して学校怪談などの怖い話を無理やり聞かせてくる、逃げ場がない。苦しいけど誰も助けてくれない。虐められていても、自業自得で終わる。そんな学校には私はいきたくなかった。でも、反論する元気も抵抗する元気もなかったので行った場所。私にとっての学校はそんな場所でしかない。
理想と現実は表と裏なので、同じようにはできないから無理だとは思うけれど、どんな場所ならあの頃の自分を救えるのだろうなという願いを込めて、少しだけ考えようと思う。
1.学校は、こころを育て守る場所でいて欲しい
一人ひとりが、自分らしく過ごせること。
あやふやな意思確認の上で、なあなあに過ごしてしまうことは、きっと勿体ない。その時に出逢ったモノって、何だかんだ降り積もるように心に遺るんだと思う。自分が大事にされていただとか、スキだったコトとか。
嫌なことをきちんと嫌だということができて、嫌なことから守られて離れられること。
2.学校であって学校でない場所
ヒトって、いつでも学べるんですよ。興味を持ってソコから色んな分野に視野を広げる。そんな場所は、学校だけじゃない。
だけど、何故か世間一般的には、学校という枠組みに当て嵌めようとする。なんでだろ。分かりやすいからかな。
学校現場じゃなきゃ駄目な子もいるけど、学校現場でなくても学ぶだけなら問題ないと思う。あと、義務教育だとしても周りと同じをずーーーーっと強要されずに自分の学力に合わせて、やりたかったら気軽に学年をスキップ出来ると良いと思う。しなくても良いけど。選択肢があるならば少しは息がしやすくなるかもしれない。
3.色んな学校の授業を同時に複数好きなだけ選択できる学校
うまく伝わるかわからないけれど、担任の先生って基本的には固定じゃないですか。教えられる側との相性で自分のところの学校の先生方と相性が悪いならば、それこそ学籍はそのままで、別の学校の先生の授業を受けられるシステムがあると面白いと思う。
#こんな学校あったらいいな