韓国マスオさん日記 〜エピローグ〜

2024年3月5日、日本での生活にいったん区切りをつけて、家族3人で韓国での新生活をスタートさせました。
韓国に移り住むことになった経緯についてはおいおい触れることにして、まずは日本を離れる前のドタバタについて書きたいと思います。


4年間勤めた会社を辞める

わたしと連れ合いは以前から話し合いを重ね、この春に韓国に渡ることにしていました。そして昨年12月にその旨をわたしが勤める会社に伝えておきました。この会社とは半年ごとの労働契約を結んでいたので、次回の契約更新は行わないことを上司に話したのです。
すると上司からは「お連合いはもう博士論文を書き終えたのか?」とか「韓国での仕事はどうするのか?」と質問攻めに合うことに。要はわたしにやめられたくないのでしょう。なぜならわたしが担当していた業務は、前任者が次々と辞めていったいわくつきの仕事。そのため暗に引き留めようとしていたのかもしれません。以前にも「なんで正社員にならないの?」なんて言われてたりもしましたし。
でも韓国行きは既に決めたことだし、そもそもわたしが契約更新を拒否する以上、会社も受け入れるほかありません。というわけで、わたしは4年近く勤めていた会社を離れることになりました(時短勤務のパートでもボーナス支給されるから、考えようによっては理想の職場だったかも)。

わたしと会社の労働契約が終わるのは2月15日まで。それまでわたしは自分の仕事を淡々とこなしながら、後任が決まるのを待っていました。ところが、1月後半に入っても後任が決まらず、引き継ぎはまったく進みません。「おいおい、大丈夫かよ?」と思いつつ、わたしにできることは何もなく、「まああとは会社がなんとかするでしょ」と軽く考えていました。
ちなみにこの時わたしたち家族が暮らしていたのは、連れ合いが通う大学の留学生用宿舎。閑静な住宅街の真ん中にあり、大学側の手厚いバックアップもあってとても暮らしやすかったのですが、一つだけ難点が。それは3月15日までには必ず退去しなければならず、さらに3月分の家賃を日割りで支払うことは認められないということ。わずか15日間のために一月分の家賃を払うのももったいない。ということでわたしたちは、2月15日退社→引越し作業→2月29日出国、という予定を立てました。2週間あれば余裕で作業できるだろうと。ところが…。

突然の契約延長⁉︎

1月25日、わたしは急に別室に呼ばれました。部屋の中には上司と人事課長が。話の内容は「2月いっぱいまで働いてくれないか?」とのこと。わたしの後任が決まるのが早くても2月20日くらいになるので、引き継ぎのことを考えると2月末日まで残って欲しいとのことでした。引き継ぎに関する話が全くなかったため、ある程度は予想していたのですが、まあこちらとしては少し返答に困る話です。
一番のネックは3月の家賃であることを上司に伝えると、

「それなら3月の家賃はまるまる会社で負担するか」

えー、マジかよ⁉︎ そんなことできるの?

3月分の家賃問題がクリアーできれば、あとは出国のタイミングをずらせばいいだけの話。幸いまだ航空券は予約していません。その旨をSNSで連れ合いに相談すると、「家賃さえ解決できれば、あとはあなたの好きなようにしていいよ」とのこと。わたしは上司に契約延長に応じると伝え、2月29日まで働くことになりました。

児童手当は諦められない

ところがその後、連れ合いから衝撃の事実を知らされます。韓国で子どもの児童手当を受け取るためには、前回の出国時から90日以内に戻らないといけないとのこと。連れ合いと子どもは昨年12月の前半に韓国から日本に入ってきたので、児童手当を受け取るには3月5日までに韓国に入国しなければいけないとのこと。
ちなみに韓国は日本をはるかに超えるペースで少子高齢化が進んでいるため、児童手当は一月約6万円と高額。これを諦めることはできません。
いったん会社との契約延長を決めた後に、まさかの出国日の変更。つまり、会社を辞めて5日後には引越し作業を終わらせ日本を出なければいけないことに。マジかよ…。

バタバタしたけど、なんとか出国

事前の役所手続きは連れ合いがやってくれたので助かりましたが、実際に退職から出国までの流れはムチャクチャハードでした。とくに退職日の一週間前に酒を飲みまくったせいか、わたしは2月27日から風邪を引いてしまいました。喉の痛みでろくに睡眠も取れない中、仕事の引き継ぎと引越し作業をすることに(自業自得なんだけどね)。
しかも出国ギリギリまで家電や子どものおもちゃなどを置いておくことにしたため、出国直前まで家の中には大量の荷物が。出国前日の夕方4時に全部の荷物を国際郵便で送ったはずが、19時になってキャリーケースに入りきれない荷物の存在が明らかに。ゴミは次から次へと出てくるし。甘く見てたぜ、国外転出。
それでも余分な荷物はわたしの実家に郵送することで解決。ゴミも夜中までかかってなんとか全部捨てることができました。とにかく急遽手伝いに来てくれた母と弟には感謝しかありません。
これでなんとか出国の準備が整いました。出国当日から韓国に入ってからの流れについては、また後日。


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