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「京北の盆踊りを語りあう」~周山音頭

インタビュー実施日:2021年1月31日
会場:料理旅館 すし米
参加者:常盤成紀、黒川修子、森下八重子、磯部富美子、吉田百枝、前田文子(順不同、敬称略)

―自己紹介

【常盤】 それでは、座談会「京北の盆踊りを語りあう」を始めたいと思います。今回は「周山音頭」に焦点を当て、関係者や次世代の踊り手の考えや思いを探り、生の声を残すことを目指しています。始めるにあたり、「丹波音頭を踊る会」立ち上げ人の一人であり、この座談会を一緒に企画した黒川さんから少しお話いただけますでしょうか。

【黒川】 黒川修子です。去年、しばらく踊る機会がなかった周山音頭をようやく踊る夢が叶い、これからも踊り続けたいなぁという気持ちにはなったのですが、他方でこれをどうやって残していくことができるのかについて、ずっと悩んでいます。今回は、周山の先輩方がこの座談会への協力を快く引き受けてくださったその気持ちに心から感謝しております。これまでいろんな方が関わった周山音頭の歴史や背景を、後世の方にも大切にしてもらうきっかけになると思っておりますので、今日はお気軽にお話しいただけたら嬉しいです。

【常盤】 それでは皆様方から簡単に自己紹介をいただけますでしょうか。

【森下】 森下と申します。当時の町内会副会長からお誘いいただき、周山音頭保存会に立ち上げ当初から関わっておりました。その後、段々と保存会の中に溶け込み、浴衣の裁縫に始まり、庶務の様々な役割を担わせていただいてきました。

【磯部】 磯部富美子と申します。近頃では足腰も弱ってまいりましたけれども、もともと踊りが好きでしたので、以前は呼びかけがあればすぐに飛んでいく方でした。保存会には、公民館の方からのお誘いで、立ち上げから参加させていただくことになりました。平成6~7年頃に始めて役員になり、講習会で久保義嗣先生が踊りの先生を連れてきてくださった時も喜んで参加しておりました。

【吉田】 吉田百枝と申します。矢代という地域で生まれ育ち、今は長く周山に住んでいます。私は保存会がある程度形になってからの時期に、この周山音頭と関わるようになりました。

【前田】 前田文子と申します。修子さんから一緒に踊ろうと誘われ、周山音頭を始めました。周山音頭が始まった当時は声をかけるだけではなく、踊りを始めるまでの準備や組織づくりが大変だったと思い、先輩方のその努力をとても尊敬しております。今こうして踊ることができて、すごく楽しいです。若い世代も少しずつ集まり、先輩方にご指導を受ける機会も出て来ました。そうして世代を超えて楽しく踊ることができるのはみんな嬉しいと思います。このまま周山音頭や丹波音頭などの地域文化を次の世代につなげていけたらいいなと思っております。

座談会の様子


―周山音頭が生まれた経緯と当時の様子

【常盤】 皆様、ありがとうございました。それでは、まずは周山音頭がどのようにして生まれたのか、その背景や過程について、皆さんのお話をお聞きしたいと思います。

【磯部】 そもそも周山音頭が出来るより先に、弓削音頭や山国音頭がありました。そこで当時の周山公民館長が中心となって「周山でも自分たちで音頭を作っていこう」ということになったと聞いております。その頃は黒川さんの経営する〈すし米〉をはじめ京北にもお酒を飲む社交の場がたくさんあり、そこで唄われる「周山小唄」というものがあって、おやっさんと呼ばれる方が三味線を弾きながらお酒の場で聞かせてくれていました。それで、その周山小唄をもとに地域の音頭を作っていこうということになったのです。

【常盤】 その周山小唄ってどんな唄だったんでしょうか。

【森下】 昔はお祭りで町役場前の広場にお宮さんの神輿が来ていて、その時にみんなが集まって輪になって踊るときに、周山小唄が流れていたんです。周山音頭を作る際には、その唄そのままではなく、大林幸二さんが少し手直ししてくれました。

【黒川】 周山小唄って、当時の周山の人なら誰でも口ずさめるような唄だったんでしょうか。

【吉田】 うん、そうやね。

【黒川】 〈すし米〉のお座敷で太鼓を叩きながらみんなで唄っておられた記憶があります。

【常盤】 周山音頭が始まった当時、周山や京北の様子はどんな感じだったのでしょうか。

【前田】 今と比べると当時はすごく活気がありました。京北町自体もまだまだ賑やかで、周山通も京北町のメインストリートと呼べるほど、いろんなお店があったんです。公民館活動も盛んで、町全体で本当に活気があったんですよね。その中でやる気のある人たちが集まって、周山音頭の組織ができたのではないかと思います。

【吉田】 あの頃は公民館も頑張ってくれていて、一時期は公民館でも踊りの集まりがありましたね。敬老会でも毎年踊りの回があったと思います。ただ、お披露目の場という意味では周山音頭にだけ、当時はまだ発表の機会がありませんでした。なので地域の祭りで盆踊りが踊られるときに、周山音頭も一緒に踊らせてもらうことになったんです。

【森下】 そこから平成6年に周山音頭保存会が立ち上がりました。当時の会員数は93名。

【黒川】 えー、すごい!

周山の風景①

―周山音頭はどのような踊りか

【常盤】 周山音頭の踊りの先生は、京北の方々とは以前から繋がりがあったのでしょうか。

【磯部】 踊りの先生は、久保先生の知り合いで、若くて綺麗な先生だったのを覚えています。その先生が日本舞踊の方だったことで、周山音頭は弓削音頭や山国音頭とはまた違ったしなやかさが特徴となったわけです。

【森下】 ただ日本舞踊のしなやかさというのは、一般の方にはなかなか通じません。なので、もう一層大胆な踊り方にしてほしいとか、そう先生にお願いしたこともありました。でも、最終的には今のような日本舞踊らしい形になりました。舞踊というのは品があればあるほど難しいので、周山音頭についても、なかなか踊りが自分のものにならない。その意味では弓削音頭の方が躍りやすくて楽しい(笑)

【磯部】 始めのうちは踊りの先生に教えてもらい、あとは会員同士で週1回の夜、中央公民館2階に集まって練習していました。毎回30人くらいが集まって、踊りの輪が二重になるくらいは参加してくれていたと思います。当時は娯楽もそこまで多くなくて、みんな躍りいくのを楽しみにしていて、その日は家の用事も早く済ませていました。みんなと会えること、教えてもらえること、踊れること、いろいろ嬉しいことが重なり合って、1時間があっという間に過ぎたのを思い出します。こんな風に集まる機会は当時、他に全くなかった。

【黒川】 それが音頭をする一つの役割じゃないかなって思うんです。若い人やら年配の方やら子供やらが大勢集まって繋がることができる。婦人会も何もかもがどんどんなくなり、集まることを全部なくしていってしまうと、人間関係が都会みたいになってしまう。私はこういう集まりがなかったらあかんなって思うんですが、これからの世代にどこまで受け入れてもらえるかなという不安が、やっぱりあるんですよね。

【常盤】 僕も、皆さんが協力して始まった練習に参加して、初めて知り合いになれた方々がいます。それまで僕も周山に住んでいながらお会いする機会がなかった方々と音頭で知り合えたので、すごく大切な場所だなって僕も感じていました。
ところで、周山だけでなく山国や弓削の方にもお話を伺っていると、地域の中心となって力を発揮していたのが公民館だということをよく聞きます。今の僕たちからすると、公民館が重要な役割を担うということが新鮮な部分もあり、改めて地域にとって公民館とは、当時どんな存在だったのでしょうか。

【前田】 実際、公民館活動が多くてかなわない、というくらいたくさんの地域活動がありました。でもその当時は、公民館活動を通して地域の繋がりを大切にしている地元の人が多かったような気がしますね。

【吉田】 昔は遊びの場自体があまりなかったこともあって、公民館が頑張っていたんだと思います。

【黒川】 その辺はやっぱり時代が移り変わったという感じがしますね。

【森下】 それでも私たちは、踊りが好きな人たちとこうして今も続けている。結局好きなものは好きですからね。

【吉田】 昔は踊りに行くことが家から出るチャンスでもあったんだと思います。出かけたいっていう気持ちが自分を踊りに行かせていたんでしょうね。

周山の風景②

―「周山音頭を踊る会」の結成に向けて

【黒川】 保存会がなくなったことがショックでね。若い頃は、いずれ私たちの世代もああやって一緒に踊るんやろうなと、なんとなく思いながら過ごしていました。けれどもある時、「保存会はもう活動を辞めたよ」と聞いて、「え!なくなったんですか?」と、ちょっと受け入れられなくて。

【森下】 最後の会長は河合さんでしたね。

【黒川】 私はこの周山で生まれた音頭がなくなるのがやっぱり寂しくて、このままにしておくと後から後悔しそうな気がしたんです。今なら振興会も活動休止をしてからまだそこまで年月が経っていないし、まだ間に合うんじゃないか。先輩方が「もう終わった方がいい」というならそれは蒸し返すことでもないのかもしれないけれども、例えば河原林さんにお話を伺っても、「終わった方がいいなんてことは、本当はないねんで。そりゃあ、やってくれたら嬉しい」というような言葉も聞いて、でも一人の力ではどうしようもないと思って、前田文子さんに相談して、「周山音頭を踊る会」を立ち上げることになったんです。

【前田】 私もその時、何か手伝えることがあったら手伝いたいな、と思いました。私は黒川修子さんのように最初から熱心だったわけではないのですが、いざこうして練習を復活させて、音頭を通して人と喋って、みんなで先輩方に踊りを教えてもらってワイワイと楽しむ様子を見るにつけ、やっぱりやってよかったな、こうしてつなげてよかったなと感じています。

【常盤】 新しい人たちが新しい方向から周山音頭に興味を持つ、ということはきっとあると思います。例えば僕のような地域外から来た人には、音頭の歌詞に周山のことが書かれていて、実際に訪れてみるのも結構面白い。これからの世代の人や地域の外の人は、どんどん新しい楽しみ方を見つけていくことができる。この座談会のことを発信した先に、遠い将来、僕たちが想像もしていなかったような人が「京北の盆踊りって面白そう」と思ってもらえればいいなと思います。

周山音頭の練習会の様子

―おわりに

【常盤】 それでは最後に、今日のご感想と地域内外の人や次世代の人に向けて一言いただければと思います。

【黒川】 周山音頭というのはもちろん「踊り」ですが、ただ単に踊りそれ自体を残していきたいということではないのです。私は田舎には田舎のよさがあると思っていて、その中に周山音頭も含まれて残っていったらいいなと、そんな気持ちです。時代とともにいろんなことが変わっていきますけれども、やっぱりみんなが集まって繋がれる音頭は細く長くでもいいので続けて行けたらいいなと思います。

【前田】 やっぱり、熱を持って動くには時間と余裕がなかったら絶対に出来ないと思うんですよね。私たちもちょっとずつ余裕が出てきて動けるようになってきました。この座談会が発信されて、その熱をどこかの人が感じ取ってくれて、それがまた繋がっていったらいいなと思います。やっぱり人と喋って、その人のことを聞くと発見もあるし、そこが楽しいところだと思える「踊る会」であれば、ずっと続いていくんじゃないかなと思います。今日もこうしていろんなお話を聞けて、「そうやな」「ふーん」ということがたくさんあり、楽しかったです。

【吉田】 最初の役員の方々が立ち上げて苦労してきたせっかくの周山音頭ですしね。こうして復活させてくださり、私たちも大変嬉しいなと思っています。そうすぐ人数が増えることはないと思いますけれど、この機会にまた少しずつ参加の輪が広がってくれたら嬉しいです。

【磯部】 今の若い人たちにはいろんな娯楽があるので、その中で丹波音頭とか周山音頭とかが、どうすれば楽しんでもらえるのかなと思うところです。ただ私たちが踊っているだけではどうにもならないのでは、などと日々思ったりはしているのですが、ではどうすればいいのかということがなかなか思い浮かばない。それでもせっかく復活していただいたし、頑張って継承していただきたいという思いがありますので、自分も一緒に頑張っていくつもりでおりますので、よろしくお願いします。

【森下】 こうして「踊る会」を作っていただいたので、また踊ろうと多くの人に言えるように、是非頑張っていただきたいなと思います。だんだんと私たちも年を重ねると、なかなか皆さんについていけることが少なくなると思いますけれども、私もできる限り協力させていただきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。

【常盤】 僕もこの周山が、周山音頭がずっと続く地域であってほしいなと思います。微力ですけれども、皆さんどうぞ引き続きよろしくお願いします。今日は皆さん本当にありがとうございました。

(了)

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◆周山音頭の音源はこちら

▼その他の座談会の様子はこちら

▼「京北の盆踊りを語り合う」弓削音頭編
※3月上旬公開予定

▼「京北の盆踊りを語り合う」山国音頭編
※3月上旬公開予定

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