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ジュニアサッカーを通して学んだこと。

親は非常に勝手なものである。
子供に幸せになってほしいという一心から子供の持っている才能を伸ばせるようにするにはどうすれば良いか必死に考え、子供にあれやこれやと助言する。
子供の成長の要素には主に3つあると思う。
心の成長、体の力の成長、知力の成長。

しかし、学校や世の中に存在する教育システムの中で明確な指導要領を持ちながら育てるものには体の力の成長や知力の成長はあれど心の成長を明確な目的とした指導要領はないし、個々の子供により必要とされること、成長のスピード、成長を図る尺度が異なるため現実的にかなり難しいときている。

しかし、どんなに体の力が成長しても知力が成長しても心が育たないと成果につながらず本人の自信にも繋がらないという非常に厄介なものが心の成長。
つまり、
成果(自信)=体の成長(もしくは知力の成長)× 心の成長
という掛け算の関係が成り立っているため心の成長がゼロだと成果はゼロになるという現実を思い知らされました。

サッカーの世界で言うとどんなに一生懸命トレーニングに励んでいても、その結果体の力や知力が成長しても試合になると点でその努力が成果に繋がらないことが往々にしてあります。
これは上記の方程式における心の成長が伴っていないからだと思います。

少し昔に「やる気スイッチ」なんて言う言葉がとある学習塾のCMで使われていたが短期的にはそう言うものかもしれない。また、中長期的には本人の自主性の育成であったりするのだと思います。

そんな中で冒頭の話に戻るが親は子供のためをと言う思いから体の成長、知力の成長の話ばかりを子供にするわけである。
別な言い方をすればやれ勉強しなさい、やれ運動しなさい、、、
そうやって親が大好きな素直な子供は一生懸命やるわけですが結局それを自分のためにやっていないため肝心な時にその努力が発動しないわけです。そんな姿を親がみて子供に悔しくない?とか聞き出し、そしてまた親にもっと練習しなさいと言われ、、、と結果が出るまでそのサイクルが続いていく訳です。

子供たちへの思いが強い親ほどそうなりがちであり、私も少し前まではそう言う親になりかけており、それを自覚していたためかなり悩んでいました。なぜ悩んだか。それも冒頭に触れた通り世の中に存在する体系だった心の成長の育成システムがなかったからです。

学習塾はあっても、サッカースクールはあっても、心の成長育成塾はありません。
なぜないか。
多分それは上述した通り体系化することが難しいし、かなり俗人化しなければならないものだからかもしれません。

そんな中で私がヒントを得たことは「遊び」です。

子供が日々することは大きく3つあり、それは勉強・運動・遊びです。
どれが子供達が一番が好きか。言わずもがな「遊び」です。
「遊び」は言われなくてもやる。遊びに勝つための方法は人に言われなくとも自分で調べたり、人に聞いたりして自主的に学ぶのです。

だったら勉強だって、運動だって遊びにすれば良いのである。
しかし、なぜそんな簡単なことが親にはできないのか。
それは大人の尺度の一つである結果、将来に繋がるものと勝手に決めつけたもの、つまり試合に勝つなど具体的な成果を求めすぎるからなのだと思います。
サッカーを「遊び」と捉えれば本人にとっては楽しいわけですから勝手に進んでやる訳です。試合に勝とうが負けようが子供達が楽しければ良いのです。しかし子供は素直なもので「遊び」でも負けるのは楽しくないため負ければ次は勝とうと勝手に自分で勝つ方法を考えだすのです。
そして、それこそが自主性の発芽、心の成長の起点なんだと思います。

なんでこんな簡単なことができないか。
親が余計なことを言うからです。上述したような余計な期待、余計な結果に関する評論、その中で行われる他の子との比較、、、こう言う子供の人生への干渉が子供の心の発芽に悪影響を与えるのだと思います。なぜなら子供は親が思う以上に大人以上に周囲の大人から、ましてや親から大きな影響を受けるからです。

今こんな感じで確信を持って言っている私も最初はかなり我慢するのが辛かったです。それが本当に辛かったためいっその事もう子供のサッカーを一切見ないようにしようかと言う考えもよぎりました。でも、それは子供への関心を持たないことと同じことであり、何よりも親に認めてもらいたいという子供の承認欲求に応えてあげない親になることを意味していると思い、それは意地でも避けました。
そんな我慢の毎日の中でふと子供がサッカーをやっている姿を見るとなんとも楽しそうなこと。笑
この子は本当にサッカーが大好きなんだな〜純粋に感じました。そして、また月日が経ち、子供を見ていると確実に試合の中での立ち振る舞いが変わっていることに気がつきました。なんというか自信に満ちており、劣勢にたっても諦めない姿勢、一生懸命勝つためにどうするか考え、チームメンバーに話している姿上がり、言われたわけでもなくそんな風に真剣に取り組む姿勢を見て、心からほっとしました。

なんだこういうことか。そんな感じでした。
喉元過ぎればなんとやらですし、ここでは書ききれない思い、自分が無意識に実施していることなどもいろいろ作用した結果の今なのかもしれませんが、親にできることは多くはなく、多くあってはならないということなのかもしれない。
ただ、子供よりも視野が広く、より多くの情報を入手する術を知っている、持っていることは間違いないので、子供以上に子供達が取り組んでいる世界のことを学び、どのような選択肢が子供にあるのか、将来その世界はどうなるのか子供の目となり、積極的に調査することが大事なのかもしれません。
私はサッカー経験者ではないですし、サッカー観戦といえばワールドカップの日本代表の試合くらいしか見ていない人でしたが、ジュニアサッカーの本を何冊読んだことか。笑
子供のサッカーの試合にほぼ全て引率し、子供のチームの試合がない時でも他のチームの試合、監督の子供たちへの接し方、指導の仕方、子供達の表情を目を皿のようにして見てきました。
子供にいろいろな環境に慣れてほしいという気持ちから積極的に強豪チームやJ下部のセレクションや体験を受けさせ、それに同行する中でその選定基準や監督、コーチの指導内容、子供達の表情を観察してきました。

その結果、ジュニアサッカーの中で強豪と言われるところは概ねコーチが厳しく、求められる運動能力、サッカー知識をとにかく体に刷り込み、一定レベル以上の選手を量産していました。それはある意味サイボーグのような金太郎飴選手を量産しているように私には見えました。

また、同時に海外の一流クラブであるバルセロナ、レアル・マドリード、リバプール、バイエルンなどのサッカーの試合をたくさん見ました。そして、日本のJリーグの試合もたくさん見ました。
そんな時ふと気付きました。日本のサッカーってなんだかワクワクしないな。同じようなプレイをする選手ばかりだな。と。
言ってみれば個性がないというか。枠にはまったサッカーというか。プロだけどああいうサッカーをしていて楽しいのかなとふと感じてしまいました。同時にそういう選手はきっと海外のビッククラブに高額の移籍金を持って移籍したり、スカウトされたりすることはないんだろうなと感じました。違いは個性であり、別な言い方をすると他の選手にはない何かであり、もっと別な言い方をすれば周囲に期待をさせる何を持っているかどうか、ということなんだと思います。
それが見えるから人はワクワクするんだと感じました。

翻って日本のジュニアサッカーの育成システムを見ていると体力・知力を育てるが心の育成システムはない。とにかく金太郎飴のような選手を育て、一定のレベルまではあげるが、そこから先がない。だから個性のある選手、何かを期待させる選手が少なく、ビッグクラブにスカウトされる選手も少ないのではないだろうか、そんな結論に今はなっています。

だからこそなおさらですが自分の子供には遊び感覚で思いっきり自分が楽しむためにサッカーをしてほしい。そんな中で自分なりのサッカースタイル、プレイイメージを作り、それを個性として磨き上げて行ってほしいと思います。

そんなことを考えているときにある記事の中で「真剣に遊ぶ」という言葉が目に入ってきました。
そう、この言葉がぴったりなのです。
「真剣に遊ぶ」その環境を子供の目となり見つけ、子供に問われたときにその応えられるようにする、それが親が唯一して良いことなのかもしれない。

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