パラダイムシフト
変わらないことがあるとするならば、変わり続けることがそれなんだろう。
先日、特別支援学校の教員との、とある研修で興味深い示唆を受けた。
「子どもは失敗から学ばない」
最初、この言葉を聞いた時一瞬理解に戸惑った。
「失敗は成功のもと」
この理解が大前提にあったからだ。
何かの成功を成し遂げるためには失敗を重ねていく事は大切なことである。
それが当然だと思っていた。
しかし、それは「それなりに自己実現を果たした=成功経験を有する者」として前提と言えるとのことである。
現在、数多くの学校においては、「成功経験」を有する生徒の方が少ない。
むしろ、日々の小さな挫折が習慣化して、常に失敗に苛まれている。もしくは、失敗という自覚はなくとも、「上手くいった」「何かを成し遂げた」という経験が少ないことで、自己実現に伴う自尊感情が極めて縮小傾向にある。
そのため、自尊感情をプラスの方向に持っていく=挑戦を図るのではなく、いかにマイナスにしないか=「失敗しない」ことを目的に生活している生徒が多いという。
だから「失敗から学ばない」。
挑戦を促し、失敗を恐れるなと、いくら教員側が促したところで、「成功」を知らず、失敗と挫折の習慣の中でしか生きていないものにとっては、それは無意味になる。
つまり、いつも通りの「上手くいかない結果」なのだ。
「失敗は成功のもと」は、「成功」することが前提となっている「上手くいった」ものが特権化している格言なのだろう。
以上のような、教育上の「パラダイムシフト」に遭遇することに最近恵まれている。
これまで当然視されていた内容に対する学識の変化を体験している。
これは、素直に面白い。
とくに、教育関係は、誰しもが経験していることであり、専門的な知見がなくとも、誰しもが好き勝手に意見が言える。
さらには、現場の多くの教員も、自身の経験こそが教育観の根幹にあり、経験の束縛から逃れる事は容易ではない。
しかし、新たな知見は日々更新されていく。
その更新から取り残される訳にはいかない。
教育をめぐる問題は、誰しもが容易に自己の経験則で「正しさ」を主張できるからこそ、それに応答しうる自己の教育観の確率が重要になる。
けれども、その教育観を決して固定化せず、認識のパラダイムシフトにいかに柔軟に対応していくかが問われている。
「昭和の人間」「平成の人間」「令和の人間」
という枠組みの言い訳に囚われず、価値観のアップデートを重ねていく必要がある。
変化し続けるものが生き残る。
自戒を込めて。