"I Still Haven’t Found What I’m Looking For"


年度末恒例の振り返り。
けれども、人生の岐路になった3月のつごもり。



好きなことを仕事にしたかった。

歴史が好きだから歴史を教える教員になりたい。そう思って大学に行って歴史を学ぼうと思った。

そんな自分の価値観が動揺したのが大学時代である。

一番はじめの「日本史概論」の授業の問いが、

「日本人とは何か?」

「何が「○○らしさ」決めているのか?」


今まで当然のように自分のアイデンティティを構成していた要素が歴史的に見た時に決して普遍的なものではなく相対的なものであると学んだ。
そして、現代社会において普遍と見なされている価値観に苦しむマイノリティが多く存在することを知った。

単に「好きだから」ではなく、歴史を教えることの「重み」を感じるようになった。

2年次以降所属した日本近現代史のゼミでは、3 年の時、日本史のゼミなのに、フランスの哲学者
ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を輪読した。

この体験が世界の見え方を変えたと思う。

フーコーは近代における「権力」の在り方について、絶対的な力を持つ権力者の存在ではなく、社会の中で人々が生活する中で、互いの関係の中で様々な場面で機能し、相互に人々を規定する機能にその存在を見た。

例えば、監視カメラ。自分は見えてなくても、誰かに「見られている」と感じる事で、「しっかりしなきゃ」となる。これが規律訓練の権力である。

この規律訓練が近代という「大衆化した時代」を象徴するものとして機能しているといい、そして、その代表的な場面が、監獄と学校と軍隊と病院だと言う。
監獄は悪いことをした罪人を更生させる施設だが、そうした人間の「人間性」を作り替える機能が近代的な施設である監獄や学校、軍隊、病院には共通する。例えば、集団生活を営む同じ空間の中で、同じ時間割、同じ服装、机の配置、集団行動、これらの同じからの逸脱は矯正の対象として、炙り出され、内面から作りかえられる。
つまり、「殺す権力」から「生かす権力」への転換とも言うべきパラダイムシフトがおきた。学校も軍隊もこうして、人間を従順に仕立て上げていく事で近代国家が形成されたという。

確かに、徴兵を伴う国家的な軍隊も学校制度も近代の産物だろう。

歴史の教員になりたいけれども、学校という場所になんとなくの忌避感を持っていた私の違和感が、フーコーに触れたことにより言語化された。そして、「歴史」や「教育」「学校」という普遍化された概念についても、その「権力性」への注目から、改めて問い直してみたいと思った。

ここに至ったのは学部の 4 年生である。

教員採用試験に出願したあとだった。

だから名簿登載延長の制度を利用し大学院に進むことにした。


大学院では、フーコーのいう規律訓練が最も顕著に発揮される戦時下の人々の生活と現代社会における規律化の連続性を「総力戦」という概念を軸に探究した。ちょうどコロナ禍で如実になった相互監視や同調圧力などは、よりリアリティをもって感じられた。

そして、その規律化を発揮する主体として「教員」や「学校」「教育」そのものに対する関心がますます深まることとなった。

そして、大学院を修了し、某商業高校の配属となった。

商業高校という自身のキャリアプランが高校生活と直結する学校の実際は、漠然とした「歴史」「教育」等の概念を探究し、職業や労働を概念化していた自分にとっては新鮮だった。


生徒たちは常に、アイデンティティを問われる。

「商業高校として」
「○商生として」

そうした、属性規定による自己の在り方の模索の中で、自身の進路を確定していく。
「就職」という「社会参加」が前提となっている学校であるからこそ、社会との接続がより切迫した問題として提示される。

その中で、自己実現を達成する生徒。反対に、そうした切迫性と自己の生活の在り方の「ズレ」に悩む生徒もたくさん見てきた。


振り返ってみると、この 1 年間で最も意識した言葉は「社会」である。

「社会にでたら」が生徒指導の枕詞になる環境の中で、「いかに生徒を「社会」に適合させていくか」という教育目標と「現状の「社会」を追認せずに社会そのものを変えていく」という私自身の教育観との相克の日々だったとも思う。

「社会」とは何か。

それは自分自身が「教員として何が出来るか」「なぜ教員をやっているのか」を根源的に問う問題でもあった。


「現代社会における学校の意味とは何か」「教員の役割とは何か」「今を生きる私たちが歴史的に今を考えるとは何か」

そうした自分の問題意識から眼を背けることが出来なかった。
そして、「間い」の誘惑は、自分が置かれている環境の変化への希求へと転換した。

だからこそ、教員養成大学の附属であり、根本的な部分で教育や学校の在り方を探究し、作用することができる場所で探究を続けたいと決意した。

そこで、新勤務校の採用試験を受けここに至る。

過去は耽美なものである。
記憶は上書きされる。
それでも、この記憶に支えられて生きている。

商業高校という受験に束縛されないカリキュラムだからこそ、やりたい実践を重ねられた。日記や回想などのエゴドキュメントを活用し、歴史認識や社会認識の授業を行えたのは非常に良い成果だった。「この世界の片隅に」「おくりびと」をはじめ映像作品を通じて歴史上の問題や現代の社会問題に触れることが出来たのも良い思い出となった。

そうした授業実践において、生徒のコメントシートを毎回回収することが出来たのもよかった。
「何を書けばよいかわからない」が、「自分の好きなこと、考えていることを自由に書ける場所」に変化していく様子が見れたのが最大の成果であった。
そうした変化を来年度以降継続して見れないことが残念だ。

授業の時間は、「世界の見方」が変わった時間になっただろうか。
少しでも「社会を問い直すこと」に貢献出来たと言えるだろうか。

この1年間、個人的に大切にしてきたのは「対話」だった。授業中の対話機会に限らず、日常会話、コメントシートも同様である。

物理学者ディビッド・ボームは「dialogue=対話」を「問題解決ではなく問題を共有する営み」と位置づけたが、それがこの1年間の指針だった。

その指針を確立できたのも「対話する姿勢」を示し続けてくれた生徒たちのおかげだろう。

この1年間の「問題を共有する営み」の果てにどのような作用が生じるだろうか。

そんな期待をしつつ、わたし自身の問題関心を深化させてくれたこの1年間の出会いに感謝と謝罪を重ねつつ。

それでも、また明日から一歩ずつ。
探しているものを探す終わりなき旅へ。


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