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切抜13『この街で生きている』

(「切抜」シリーズは、今胸の内にあるモヤモヤを言葉に乗せてまとめる、いわば心の整理をするための雑記帳というもので読んでいただければと思います)

 急行電車の走行音に負けじと線路沿いでひた鳴く夏の蝉たちの声。目まぐるしい速さで夏の緑が電車の窓を彩っていく。このところ連日30度以上の気温なんて当たり前だが、暑さ対策に紫外線対策をした甲斐もあってか、今日は比較的そんなに暑いとは思わなかった。

 先日、母と電話をした際に話にあがった「神保町」という町。そういえば、私の行きつけの鍼灸院の担当も神保町出身だと言っていた。母は昔、父に東京に予定がある度に神保町に連れていかれていたらしい。父は古本がとにかく大好きだったそうだ。思い出せば、私が物心ついた時から実家の本棚には紙がひどく日焼けした本がずらりと並んでいた。父の書斎にある本棚に廊下に置いてある本棚、しまいには兄たちの部屋にある本棚にもそれらがあった。中学生の頃に背伸びをしたかったということもあって、なんとなく気になっていた岩波文庫の「血液型の話」というのを読んでみたが、その時に備えていた知識だけでは足りないほどのあまりにも専門的すぎる内容で、ほんの少ししか理解できなかった。元々クラシック音楽を専門にしていた父だが、他にもそれとは関係のないジャンルの本もそこには沢山並んでいて、「父はこんな本も読むのか…」と、まるで果てのない海を見るような心地で床に座って本棚を眺めることもあった。
 母は、当時は父の趣味ということで嫌々付き合っていたそうだが、結局買った本たちは読んでいるようで読んでいないということを、父がこの世を去る日までずっと黙っていた。兄たちが生まれるその前から家の本棚に居座り続けたせいでしっかりと日焼けして、中には本の隙間に紙魚の死骸が挟まっていた本もあったらしい。たまの電話で父の遺品整理をする際に本を処分するときにそれらが見つかり、「早く始末しておけばよかった」と愚痴をこぼされることも増えてしまった。
 たまたまとはいえ、私の大のお気に入りの鍼灸師の出身地がそこで、両親の足跡がそこにあると聞かされて、これで行かない理由はないと思い、私は週末に神保町へ向かうことにした。

 渋谷から久喜行の電車に乗り換えてあっという間に神保町に着いた。地下鉄は熱気や湿気が溜まりやすい印象があったが、神保町駅のコンコース構内はエアコンが効いているのかと思うくらいに涼しくて快適だった。Googleマップを片手に当てにならないGPSをぶらぶらとさせて、専修大学方面の出口に出た。古本の町と呼ばれていても、どうせ「東京」という都会の一部なのだからさぞ栄えていることだろうと思っていたが、太陽が空のてっぺんに昇りきる時間でも人はそんなに多いとは感じなかった。ちょうどビルの陰に入って、地下鉄の出口から吹きあがってくる冷たい風に打たれてぼーっとしていたが、それから何も考えずに出口の右側に進むことにした。
 古本通りの中で一番若い店構えをしていた「Book House Cafe」がすぐ目に入ってきた。昔私が住んでいた名古屋の栄の通りにありそうな外装だったので、少し懐かしさを感じつつ店に入った。まず私を出迎えてくれたのは、クジラの絵が表紙になった絵本のパネルと、クジラの髭の模型だった。何かクジラの特集があるのかと思い本棚をきょろきょろ見渡したが、特にこれといったものは何もなかった。この店は児童向けの本を取り扱っている店なのかと並んでいる絵本の数を見て分かった。店内には親子連れの客たちが何組もいた。夏休みの課題図書探しに、子どもへの読み聞かせの本を探しに、目的は様々だったろう。たまたま手に取った絵本を立ち読みしていたら、後ろからやってきた子どもが私の足元に置いてあった絵本を勢いよく開き、内容を理解するよりも先にページをめくりはじめた。私の足元で目まぐるしく変わっていく絵たちを無心で、しかも楽しそうにめくっている。私も子どもの頃はそんな風に絵本を読んでいたっけなと、子どもを横目におぼろげな記憶を引き出そうとしていたら、後から追ってきた母親が子どもを連れていくようにしてその場からいなくなってしまった。本を置いて別の書架に移ると、生き物の生き死にについてと児童向けにしては少し内容が重そうな絵本も置いてあった。物心ついてすぐにこういうものに触れされてみるというのもどうなんだろうと少し気になったが、今の私に自分の子供というものはあまりに無縁すぎるので、本を軽く読んですぐにその場から離れることにした。もう別の書架には、童話や純文学系の絵本がずらりと並んでいた。実は二十代になってから初めて知った、宮沢賢治の「よだかの星」の絵本も置いてあった。本を手に取り、絵と文章を丁寧に目で追いやりページをゆっくりとめくっていった。さっき立ち読みした絵本といい、今手に取っているよだかの星もそうだ、絵と言葉の親和性は昔から高いものであるということを改めて感じた。言葉も絵も、文体や絵のタッチによって読み手の目線にいくらでも寄り添うことができる「絵本」は、大人になってから読むとなんてやさしくて愛おしいものなのだろうと思った。
 店内で静かに絵本を読む子どもたち、子どもと同じ目線になってどの絵本が良いか一緒に悩む母親たち、一方で走り回る子どもを後ろから小走りで追いかける父親。この光景だけで充分あたたかいもので、幼いころからこの空気に触れて成長したらどんな感性になって育っていくのか、少しだけ興味が湧いた。

 一冊本を買って店を出て、そのまた右方向に進んでいった。いよいよ父が足蹴く通っていたであろう書店たちが見えてきた。外に書架を構えてあり、戦記、歴史、古文学、地域学に社会学など、とにかく眉間にしわを思わず寄せてしまいそうな古本たちがずらりと並んでいた。実家にあった本があんなに日焼けしていたのにもすぐに納得できた。この後に控えていた予定さえなければもう少しだけじっくりと本を眺めていただろうが、そこでは特にこれといった本は手に取らずに別の店にすぐに移った。
 きっと父が最も通っていたであろう店がすぐに分かった。「古賀書店」。クラシック音楽系の本を主に取り扱っている古本屋だ。店の前には腰までの高さのスチールラックにミニスコアが積み上げられていたり、ピアノのピースが一つ一つ袋に入れられた状態で綺麗に並んでいた。値段を見ると当時の値段相応の価格だった。もし私が音大生現役の頃にこんなものに出会っていたら、昔の父と同じくらいの勢いで片っ端から楽譜を買い漁っていたに違いない。小さな店だが、店内にはもっといろんな楽譜が置いてあった。しかしまたその本棚も実家のピアノの部屋のような光景が広がっていた。ベーレンライター、全音楽譜、音楽之友、カワイ、ヘンレ、国内版と輸入版の楽譜が隅々まで並んでいた。どれもが懐かしくて、過去の記憶が具現化されているように見えた。私が専門としていた声楽の本棚もしっかりあった。比較的メジャーなオペラのフルスコアに、伊独仏それぞれの歌曲集に日本の作曲家の歌曲集、だいたいの楽器店に置いてあるであろう楽譜はそろっていた。少し違う本棚には、日本の民謡やら海の歌といったものがまとめられた小さい本がいくつか置いてあった。あまり触れなかった歌たちの楽譜を手に取って、すぐさま頭の中で音を鳴らして曲を聴いて回った。学生ぶりに感じた楽譜越しに知らない曲に出会うワクワク感が懐かしくてたまらなかった。すぐさまこの本を買おうと思ったが、一歩踏みとどまって懐事情を恐る恐る見直した。驚くほど風通りの良い財布に絶望して泣く泣く諦めることにした。きっと次にまた出会えるという微かな希望を胸に、さっきまで両手で抱えていた楽譜たちに強烈に後ろ髪を引かれつつも店を出ることにした。

 気が付けば、陽が少しだけ傾いていた。すぐ隣の演劇関係の古本屋に、もう少し先に行ったところにある書道関係の店にも行きたくて仕方なかったが、胃の中の虫が先ほどから鳴り続けていることにどうも気持ちが落ち着かなかった。そういえば鍼灸師が、「神保町はカレーの町」とも言っていたことを思い出した。スマホを取り出して近くのカレー屋を調べてみて、ちょうどすぐ近くにボンディという老舗のカレー屋があることが分かった。「じゃがいもが美味しそう」という至極単純な気持ちで、また当てにならないマップを片手に道をうろうろとしてやっとその店を見つけたが、やはり昼食時ということもあって、何組も外に行列ができてしまっていた。さすがにこの状況で一人で行くのは勇気がいると生唾を飲み込み、胃袋に悔しさを詰め込んでその場を後にした。

ボンディからしぶしぶ駅に向かう道中で撮った一枚。
車通りだけじゃなくてもう少し入ったところにも面白そうな古本屋があるのを見かけた。
また今度来たら立ち寄ってみよう。

 姿かたちは少し違えど、この光景をずっと昔にここを歩いていた両親も見ていたのかなと思うと少しだけ切ない気持ちになった。一方で、両親が歩き親しんだ街を今こうして私も歩いていることに嬉しくもなった。時を超えて、私は両親の軌跡を辿るように同じ場所を歩いている。それだけでこの日この街に降り立ったことに心から良かったと思えた。
 そして私の大好きな人を見守り育んできたこの街は、彼のあの純粋で豊かな感性を育てるのに充分すぎる環境だということにも、実際に街の空気に触れて分かった。私も小さい頃からこの空気に触れて育っていたら一体どんな人間になっていただろうかと、ほんの少しだけ彼のことが羨ましく思えた。それと同時に全く他人の分際ではあるが、彼が今の彼として育つためにこの街が存在してくれたことに無性に感謝したくなった。
 母に、彼に神保町に行ってみたことを話したらどんな反応をするだろうか。母は懐かしく思うだろうか、彼は少し怖がるだろうか。いずれにせよ、また一つ話したいことが増えたことには変わりはない。

今度はちゃんとあのじゃがいもとカレーを食べれるように、もう少し懐と時間に余裕を持ってから行くことにしよう。


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