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切抜8『あふれる』

(「切抜」シリーズは、今胸の内にあるモヤモヤを言葉に乗せてまとめる、いわば心の整理をするための雑記帳というもので読んでいただければと思います)

ほぼ毎朝、それからほぼ夕方と。
都会の荒波に飲まれる生活が日々の一部として根を生やしはじめて3週間ほどの時間が過ぎた。
仕事には早々に慣れ、ありがたくも新たな職場で人に恵まれた。そして程なくして、晴れて声優の養成所にも通い始めて新たな仲間たちと出会えた。

始まったばかりの眩しい未来のはずだが、渋谷のオフィス街を交差する歩道橋たちの間や高層ビルの隙間から見える薄紫の夕空を見る度に、

「なんか、もういっかな。」

と、不意に襲い来る自殺願望のような底なしの虚無感が胸の奥から深い溜息となって口からこぼれる。
ただの疲労感からやってくるそれだろうが、疲労感に混じって、これまで行き場を無くしてしまった愛情や情熱といったあらゆる感情たちが膿のように腐ってしまって虚無と成ってしまっている…
という感覚が実はあったのだが、これまで見て見ぬふりをして過ごしていた。だから、いつも大きなビルからひと仕事終えて、身を乗り出すような勢いで自動ドアを抜けて大通りに出る度、騒々しい街の空気に溶かすようにマスク越しに大きく溜息を吐き出している。
これが私の日常の1枚として日々殴り書きされている。


帰り道、いつもの汚れたコンクリートと排気ガス、流行病のせいで不潔に感じる都会の空気をマスク越しに眉をひそめながら信号を待っていた時に、ふと私がこの道を進もうと思った理由を思い出していた。

およそ2年前の6月、毎週週半ばから週末にかけて身体を酷使しながら働いていたブライダル業に嫌気がさして、このまままともに音楽活動も出来ないまま半端な社会人になりたくないと衝動的に思って、音楽ができないならせめてこの声を使って何か爪痕を残したいと考えが至って、仕事の休憩時間に何も考えずに声優コースのある専門学校へ電話をかけた。
それから両親に頭を下げて、1年間その学校へ通うことを許してもらった。
諸々準備が整ったところで、初夏のある日、声優界で知らないという人は居ないであろう「朴璐美さん」を講師に、学校でワークショップを行なうという話があった。私は迷わずそれに参加した。
当日は、これから授業で顔を合わせることになるだろうという人達がぞろぞろ参加していた。会場の熱気と緊張と期待で汗ばむ中、本物を聞いた瞬間、緊張が解けてすべてがギラギラとした期待感に変わった。直接その世界に生きる人の話を本物の声で聞いて、見える筈のない未来が一気に切り開かれたかのように、私は朴さんの話を真剣に聞いた。
その後に参加者同士でペアを組んで、実際に声を出しながら体を動かすことをした。やることは単純だったが、参加者の中では少し精神的にダメージを受けるものも少なくはなかったのではないかと思うような、ハードなものだった。
一方が壁際で待機していて、もう一方が相手に向かって叫びながら匍匐前進をして、たどり着いてもその待っていた相手に向かってひたすら叫び続けるという動作だった。勿論、匍匐前進を行なう前に朴さんが全員を罵倒するというエグいイベントも込みだった。朴さんは、演技と感情はイコールで、その力がどのようなものかを教えるべくこのワークを取り入れていたと言っていた。実際にやってみて、図星を突かれてその悔しさから湧き上がる力が想像以上に大きく、それが声という形になってあふれる瞬間がとてつもなく気持ちよかったことを、今でも鮮明に覚えている。また、その時に私の感情を真正面から受け止めてくれた盟友の真剣な眼差しも、まぶたの裏にしっかりと焼き付いている。叫び終わったあと、怒りの感情を堪えきれずにボロボロと泣いてしまった私を笑って抱き留めてくれた「まきみん」とは、東京に行っても同じ養成所に通うことになるとは、当時は1ミリも思ってもいなかった。見えないものは多かったけれど、この体験をもって私は声優界に進んでみたいという気持ちが確立した。いつしか朴さんと同じ作品、あるいは同じ舞台に立って仕事をしたい。そして私の叫びを受け止めてくれたまきみんとも、同期として一緒に仕事が出来たらいいなという夢もできた。


そうだ、この熱だ、と。
あの時感じた熱気にあてられて私はここに来たんだ。ほとんどが感情の赴くまま流れ着いたようなものだったが、進行方向を誤ったとは一度も思ったことは無かった。ここに至るまでに色んな痛みや苦しみを積み重ねてきた。言うまでもないが、それに比例して小さいものから大きいものまで、楽しさや幸せも同時に受け入れてきた。

自分を解放できる場所があるということは、私にとってまずひとつの幸せだ。
その気持ちを信じて、1年間専門学校で声優界や声優としての体作りや発声を学び、昨年11月に受けた事務所単独のオーディションで某養成所の本科生として合格を勝ち取ることが出来た。先は長いが、やっと夢への1歩を進めることが出来たと喜んだものだった。

声楽をやっていた頃、とにかく舞台に立つことが好きだったという漠然とした感覚も、自分の感情を解放できる場所がただ楽しかったということを無意識的に思っていたということにもやっと最近気づいた。
己自身のあらゆる喜怒哀楽を大衆の場で解放し、1つの舞台を作り上げる感覚が、心から楽しくて仕方がない。また共演する人物がいれば、その人たちとも楽しさを共有できる。私にとってこれほど楽しいことはないだろうと今では考える。

27年と生きているが、これまで経験したことない、味わったことの無い感情を私はまだまだ学習している真っ最中だ。最近学んだ感情は、「一生かけて一人の人を大切にしていきたい。何があってもこの人が一番だ」という、私が物心ついた頃から追い求めていた、愛情の最上級の感情だ。それを教えてくれたのは、学友ではなく、インターネットで知り合った1人の男性だった。彼は私の絶望的とも言える人生の大きな節目を、たった1人で支えてくれた重要人物だ。そんな彼には心から感謝していると同時に、恋心といった甘い感情を超えた特別な感情と信頼を抱いている。「誰かの存在があるから自分は強く居られる」という、王道展開の少年漫画等によくあるあのセリフは迷信ではなかったんだと、その感情を知った時は感動したものだった。

きっとこの感情を、いつかちゃんとこの声を使った仕事をする時が訪れたら、聞いてくれる人達に私が感じた感動をまるごと与えられるような役者になりたいと思った。

これから先も、血がとめどなく溢れるような苦しくて痛々しい感情だったり、大渋滞とも呼べるほどの抱えきれない大きな幸せや楽しさといったポジティブな感情をうんと学んでいくことになるだろう。その度にあふれる感情たちを、私は拒まずに快く豪快に飲み込んでいきたい。今ある情熱の灯火を、これからも絶やさないように感情を一つ一つ丁寧にくべていきたい。

感情という羅針盤を片手に、やがて訪れる緑の季節の、少し熱を帯びた風を正面から受け止めながら横断歩道を足早に抜けた。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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