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オレンジレアチーズケーキと私 【だいたい2000字小説】

「んー、なんて言うか……思ってたのと違ったんだよね」

それは、別れる理由のうちで、最も残酷な言葉だと思う。
勝手に“思って”己のなかに作り上げた人物像と、実際に付き合った実在の人物に齟齬があった、その齟齬を受け入れられなかった、なんて、かなり身勝手な話だ。
そういう齟齬や、今まで見えていなかった性格や表情や、まわりの人間関係をとっぱらった生身の人間として対峙したときに立ち現れる“発見”を楽しむことだって恋愛の醍醐味でしょう、と言いかけてやめた。
きっと、同じことを言われる経験をしないと、リカコにはわからない。
そして、リカコ自身がそんなことを別れ際に言われた日には、あいつ許せない!と憤慨するに決まっている。
「……そういうこともあるよね」
適当に相槌を打って、アイスコーヒーを飲み干した。


リカコと別れた澤くんは、お気に入りのおもちゃを取り上げられた子どもと同じくらい凹んでいた。
「ラインで“別れよう”って、それだけ。
 僕なにも聞き返せなかったよ……。
 ももちゃんのほうで理由聞いててくれない? 悪いことしたなら、僕謝りたいし」

澤くんと同じ学科の私は、彼に頼まれて、リカコから別れた理由を聞き出した。
だけど、“思ってたのと違ったんだって”なんて、彼に伝えられるはずがない。

ひと目惚れしたのはリカコのほうで、紹介してほしいとしつこく頼まれた。
中学からリカコと親友で、外見重視の彼女の恋愛遍歴を知っているのだからやめておけばよかったのに、私は、二人の間を取り持った。
“友達”としてよく思われたかった? ううん、違う。
どうせ長く続かないとわかってて、二人が別れれば、傷ついた澤くんの心に入り込むことができるかもしれないなんて姑息なことを考えた。


実際のところ、わかりやすく落ち込む彼を前にすると、懺悔の針で胸が痛い。


澤くんは、白いTシャツと細身のデニムがよく似合って、色素の薄い前髪を揺らして笑う。それこそ、文字通りの爽やかさで。
あの時リカコが食べていたレアチーズケーキみたい。
酸味の効いたレアチーズケーキに、透明ゼリーと仲良くしたオレンジが乗ったやつ。
爽やかさに爽やかさを重ねて。どんだけ重ねても、くどくなくて。
どんだけ一緒にいてもくどくならない。

そんな澤くんが、ため息をついている。
「リカちゃん、なんて言ってた?」
「うん……好きだったって言ってたよ」
私は、ベンチに座る澤くんの隣に腰を下ろした。

「“だった”? いまは、嫌いになったってこと?」
「嫌いっていうか……」
別の言葉で濁そうとした自分を悔やんだ。
澤くんの発するまっしろな言葉が、一言一句、私を責めているように聞こえる。
どう悔やんでも、出した言葉は口の中にさえ戻せない。
「ちょっと……合わないとこがあった、みたいなこと言ってたよ」
「え、なんだろ……。僕なりに頑張ってたつもりだったんだけどな」

おそらく、澤くんは、頑張ったと思う。
ドアを開けてくれるとか、椅子を引いてくれるとか、ヒールを履いてデートしている時は足元や歩く時間を気にしてくれるとか、キスするにも意向を確認してくるとか。
リカコから聞いた話だけでも、彼がリカコにすごく気を遣っているのだとわかった。
でもそれは、意外に少ない恋愛経験の無さからくる優しさで、そこを不満そうに話すリカコがいた。ああいうのは悪目立ちしない程度にそつなくしてほしい、でなきゃ、こっちも何か返さなきゃいけないような気分になって落ち着かない、そう愚痴っているランチタイムがあった気がする。

黒い感情がむくむくと起き上がってくるのを、私は必死に抑えた。
リカコの愚痴を聞く度に、まだかな、そろそろかなって、タイミングを伺う猛獣がいることに気づきながら、気づかないふりをしていた。

「ももちゃん、肩かりていい?」
「え?」
私の返事を待たずに、澤くんの頭が、私の右肩に預けられる。
思ったより軽くて拍子抜けしながら、ほんの少し重くなった肩に変な力が入った。
「実はね……別れようって言われる前の日、リカちゃんにね、ももちゃんって可愛いよねって話をしたんだ」
「なにそれ。私、聞いてないよ」
本当に知らなかった。
昔から、私とリカコの間には隠し事がない。
リカコは、私に対しては思ったことをすぐ話す。だから、初めての隠し事?
それとも……澤くんが?

「僕ね……いま、ももちゃんのこと口説いてるんだ」

右肩が軽くなって、小首を傾げた澤くんが、私の目を見上げてくる。

あの、澤くんが?
オレンジの乗った、レアチーズケーキみたいだと思っていた澤くんが?
なんかちょっと、ズルいタイミングで、ズルい方法で。

新緑の木漏れ日が私と澤くんの上に揺れている。心のなかに、パステルグリーンの風が優しく吹いた気がした。

なんだ、澤くんだって、おんなじじゃない。

リカコに悪いって気持ちより先にやって来た安堵感。

急に、懺悔したことが馬鹿馬鹿しくなって、なんだかおかしくて、もっと、澤くんのズルさを見てみたいと思った。

「どっか……ご飯とか、行かない?」
「ももちゃんの奢りなら行こうかな」

澤くんがいたずらっぽく笑った。


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甘川楓(あまかわかえで)
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