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杏仁豆腐と黒猫 【だいたい2000字小説】

「いや、本当ないから!!」
あたしは、杏仁豆腐に刺さった鳥レバーに萎えた。
あたしの大好きな白くてぷるんぷるんの杏仁豆腐(菱形にカットされてないやつ)は、残り半分のところを焼き鳥のタレに犯されている。こんなの犯罪だ。
「いや、意外といけるんだって」
あたしの睨みに、テーブルの向こうで犯人のヤマトが笑う。こう、すくって、甘じょっぱい、みたいな? とか何とか言いながら串を回している。
その破れたデニムから覗く膝小僧に、煙草を押し付けたかった。
食べ物で遊んじゃダメなんだよ。いくら酔ってても、杏仁豆腐は杏仁豆腐として食べたいんだよ、あたしは!

ヤマトの隣に座るルイは、あたし達に目も暮れず、プリンになった金髪を人差し指で弄りながらスマホの画面を追っている。どうせ毎日マスクだからと顔はスッピンで、ストールまで巻いてるからご自慢の谷間も見えない。だけど、網タイツを纏ってむっちり組まれたその脚は、だだ漏れる色気を持て余していた。ロングトレーナーから伸びるもやしみたいなあたしの脚には網タイツなんて絶対似合わないから憧れちゃう。
「ワクチン始まったねー」
ルイは、新型感染症の予防接種が医療従事者を対象に始まったニュース記事でも読んでいるのだろう。
「俺らみたいな流しの若者は、どうせ最後でっっす」とヤマトが自虐的に言う。
いや、流しですらないしと三人で笑った。

きっと、コウムインだったなら、お昼休みも明けてはよ終業なれ!と念じるであろう昼下がり。
あたし達は、いわゆるせんべろ酒屋にいた。正確には、その店の軒先の、キャンプ用品みたいなテーブルと背もたれの無い簡易パイプ椅子でしつらえた、お洒落に言えばテラス席で三者三様に煙草をふかしていた。
新型感染症さまさまで、この街の観光業は大打撃を受けた。
大通りのお店は勿論、一歩入ったこのアーケード街だって軒並み休業。
営業時間の短縮要請を受けた飲食店がお昼から開店しているのと、地元の人の生活を支えている生鮮食品のお店が幾つか開いているだけで、他は閑散としたシャッター通りと化している。
あたし達が働く大通りの土産品店も漏れなく休業に追いやられた。本当は切られてもおかしくないところを、細々と手当てしてくれるオーナーには頭が上がらない。とはいえ、それだってまとまった額にはならないから生活は苦しい。
他でアルバイトを探そうにも、どこも新しく人を雇う余裕なんてそうそうないから、新しく働き口を探すなんてことはとうの昔に諦めた。

ぶっちゃけ、初めの頃は浮き足立っていた。久々にまとまったお休みがもらえるぞ!お気に入りの厚底バレエシューズ履けるぞって。こんなに長引くと思わなかったし。
いつもTシャツジーパン、店名の入ったダサいエプロンを着けて大通りを行く修学旅行生に店の前で声かけしてたから、色気のないスニーカーを何足履き潰したかわかんない。
デートの予定もない、誰に見せるわけでもないけれど、60デニールの黒タイツの上から長い革紐をくるくる編んでいく。
着脱の面倒な厚底バレエシューズのその面倒くさい時間があたしを癒してくれていた。


季節が変わったからだと思う。
あたし達三人は、申し合わせるでもなくこのお店に集まるようになった。
寒いねって言いながらこうして軒先でなんとか一日やり過ごす。
飲み歩く若者のせいでどうのこうの騒がれた時分もあったけれど、部屋に一人でいたら気が滅入りそうだった。
あたしは、時間の正しい使い方がわからなくなってきていた。

店内では、店のおばちゃんと常連のおばちゃんが、二軒隣の靴屋の店主が亡くなった話をしている。
こんな閑散としてたら、みんな士気も落ちちゃうよね。

ボブの毛先が頬を切る。私は、溜め息と一緒に吐き出した煙の先を目で追った。

そしたら、お店の角の柱のとこに黒猫が座っていた。
その子はあたしに気づかれるのを待っていたかのように、ゆったりと足元までやってきてオーブのとこに頬擦りする。毛並みが意外と綺麗だった。
「お前も一人なの?」
聞くと、にゃあと見上げてくる。
向かいに座る二人が、え、猫と喋れんのかと嗤う。
あたしは、少し骨を感じる黒猫の眉間をくすぐってやった。猫が気持ちよさそうに目を細める。

と、猫のいた角の向こうの路地から男の子が駆け出してきた。
「いた!」
見覚えのある子だった。うちのアパートの上の階に住む小学生で、多分、ショータ君だったかな。ショータ君は、私の足元を指さす。
「ショータ君の猫なの?」と聞くと、首を横に振る。え、違うの。あ、うちのアパート、ペット禁止だった。
よくわかんなかったけど、ショータ君は、気温のわりに薄着をしていて心なしか寒そうだった。それに、今日は平日だ。
「寒そうだね、これ貸してあげる」
あたしが色んな違和感を巡らせている間に、ルイが屈んでショータ君の肩にストールを巻いた。きっと、故郷の弟を思い出してる。
ショータ君は、少し頬を赤らめて俯く。
「こっちに座りなよ。このおじちゃんがオレンジジュース奢ってくれるって」
「おい、お兄さんだろ!」
あたしが隣の空いていた椅子をトントンしてショータ君を呼んだら、おじさん扱いされたヤマトが笑ってた。

ヤマトがドーナツ状に煙を吐いて、ショータ君を喜ばせる。
先の黒猫は、ショータ君の膝の上で大人しく丸まって目を閉じていた。

いつもより少しだけ正しい事をしたと思う。
いつもより少しだけあったかく強くなれたと思う。
今なら焼き鳥のタレがついた杏仁豆腐も食べられる気がした。
気がしただけで、結局食べずにごめんなさいしたけどさ(笑)


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甘川楓(あまかわかえで)
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