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【時事】関東大震災から100年


関東大震災での朝鮮人虐殺の歴史

 明日は関東大震災から100年だ。当時は混乱の中で自警団による朝鮮人虐殺が起きていた。調査者によって幅はあるものの、韓国系メディアによる調査では被害者数6,000人余りといわれており、その発端は「朝鮮人が井戸に毒を入れたらしい」というデマ、フェイクニュースが拡散したことにあるといわれている。また、中国人も分かっているだけで700人以上が虐殺されている。しかし中国人虐殺の件は、なぜか朝鮮人虐殺ほどは注目されていないように感じる。ここにも溝があるように思えてならない。

 上であげたTBS news23の映像の中では、虐殺を目撃した児童の作文が取り上げられていた。10歳ほどの子どもが書いた文章とは思えないほど淡々としたもので、異様な怖さ、ある種の不気味さを感じてしまう。どうしてそうなってしまったのか、考えないといけないことだと思う。特に現在のSNSでのフェイクニュースの拡散などを見ると、果たして100年前とどう違うのか、非常に嫌な気持ちになる。

 ちなみに、東京都の小池百合子知事は、2017年以降、朝鮮人慰霊式典へ追悼文を送っていない。これは2017年3月の東京都議会で自民党から虐殺の犠牲者数について異論が出たためだ。内閣府の中央防災会議では正確な被害者数はつかめないとしながらも、報告書で震災死者約10万5,000人の「1~数%」と推計する記述をしている。つまり1,000人~数千人という立場で、韓国側の定説となっている6,000人余りとは大きく差がある数字となってしまっている。

 これは当時の事件直後に日本政府が隠ぺいを図り、調査がそもそもなされてこなかったという歴史的背景がある。単に歴史を自分たちの都合の良いように改変するだけでなく、闇に葬り去ろうとする姿勢もまた、歴史修正主義の恐ろしい部分だと思う。朝鮮人に対する暴力は正当防衛だったと主張しているヘイト団体「そよ風」が、明日の震災100年に合わせて朝鮮人犠牲者追悼碑の前で集会を行おうとしている動きもあり、非常に懸念が高まっている。


映画『福田村事件』

 また、森達也監督の映画『福田村事件』が明日から公開されるということで、こちらも非常に注目が集まっている。関東大震災では、混乱の中での自警団による朝鮮人虐殺事件に伴って、地方から訪れていた行商団が方言で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されるという事件も発生していた。それが福田村事件だ。

1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 

映画『福田村事件』HPより

 集団心理や不安の連鎖による群衆暴動、そしてそれを利用するかのようなショック・ドクトリン(大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革のこと)が横行する現代社会において、この出来事は決して過去の話ではないと思う。映画『福田村事件』はホームページも非常に読みごたえがあるので、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。


漫画や音楽で表現される関東大震災

 関東大震災を巡る話は漫画や音楽など、多くのメディア媒体で取り扱われている。芸術の力は大きく、ときにはそれがプロパガンダとして使われるほどだ。一方で、戦争や震災の歴史を継承していくという面で見たときに芸術が果たす役割も相当大きいと思う。

 若者を中心に人気の高い日本の音楽ユニット、YOASOBIが2021年9月15日にリリースした「大正浪漫」も、関東大震災に関連したストーリーを展開する曲の一つだ。ちょうど曲の中で関東大震災の前日から100年後、つまり今日の出来事が歌われる場面もある。原作は小説で、それを楽曲化したものであり、その曲調も相まって人気の曲となっている。

漫画『日本沈没』(一色登希彦版)

 また、実は漫画版『日本沈没』(一色登希彦版) でも関東大震災に触れている場面がある。特に朝鮮人虐殺についても書かれており、日本が沈没していく中で同じように不安が暴走して市民が同じ市民を虐殺するというシーンが描かれている。これらのシーンは、フィクションというにはあまりにも生々しい。現に関東大震災から100年が経った今も、韓国人や在日コリアン、北朝鮮や中国人への反発の声が差別的な言動を伴って響いている。あるいは、新型コロナウイルスでの感染者探しなども同じように存在しない「犯人捜し」が過熱し、誰かの人生を捻じ曲げてきた。南西諸島への自衛隊配備や福島原発の汚染"処理"水の海洋放出を巡って日本は近隣諸国と対立を深めつつあるが、この溝がどこかのタイミングで最悪な形を伴って爆発しないとも限らない。私たちは歴史から本当に大切なことを学びとれてきたのだろうか。

漫画『日本沈没』6巻より

 ちなみに漫画版の『日本沈没』は2種類あり、一色登希彦版の漫画『日本沈没』は、草彅剛主演の映画『日本沈没』(2006) の制作に合わせて、2006年から2008年まで小学館発行の『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載されていたバージョンだ。全15巻あり、その示唆するところは非常に大きい作品だと思う。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。


私たちは何を考えなくてはならないのか

 日本政府は昨年12月、「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」の安全保障関連3文書を改定し、防衛政策の大転換に踏み切った。防衛力強化のために防衛費を現行計画の1.6倍にするとし、2023年から5年間の総額を約43兆円にすることを閣議決定した。

2023‐27年度防衛力整備計画=ロイターより引用

 政府はこの膨れ上がった防衛費を法人税、所得税、たばこ税の増税で賄う方針であるが、細かく見てみると、所得税の中には被災地の復興に充てる目的で設けられた「復興特別所得税」も含まれている。事実上、3.11からの復興のための税システムを転用しようとしているのだ。大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革を「ショック・ドクトリン」と呼ぶが、まさに火事場泥棒的な政治がまかり通ってしまっているのが現在の政治状況なのだ。

 関東大震災から100年を迎えるにあたって、私たちは何を考えなくてはいけないのか。それは単に「大きな災害から100年の節目だから歴史を知って学ぶ」なんていう単純なものではないと私は思う。もちろん歴史を知るのは重要だし、メモリアルデーはそういう意味でいえば考えるタイミングを一つ提示していくれているものでもあるので、一概に悪いとは思わない。歴史を継承していくためにも知ることは何より重要なスタートラインだ。しかし現実問題、分断は決して過去の話ではないし、今後も溝は広がっていくだろう。学ぶことは重要だが、それだけでは世界は変わらない。本当に考える必要があるのは、私たち一人ひとりが歴史の過ちを繰り返さないためにどんな行動ができるのかではないか。

 戦争の火種となり得る摩擦を増やすような防衛費の増額や止まらない自衛隊の南西シフト、福島原発の汚染"処理"水の海洋放出を巡っての対立、フェイクニュースがあふれるネット中心社会…… 絶望感が漂うような世界ではあるが、まずは私たちにとって身近な問題から真剣に向き合っていくことが重要なのだと思う。街中で困っている人がいれば声をかける、おかしいと思ったら声を上げる、広く多様な人たちと交流する。そういう小さな優しさと行動の積み重ねが、いずれ大きく世界を変えていくのだと思う。歴史の過ちを繰り返さない努力はそういう形でしか実現できないものなのではないか。

 過去を知ること、学ぶということは、決してそれ自体が目的ではない。過去を知り、現在と照らし合わせることで、まだ見ぬ未来を予測して行動することができる。それこそが、歴史を学ぶ意義だと思う。関東大震災から100年の日にだけ涙を流して終わりにするような在り方にならないよう、自戒の念を込めて強く意識したい。

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