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今日のことを

例えば今日の事をエッセイにしても、ありきたりな物にしかならないと思った。物を書く意味も意義も見当たらなかった。僕は起きる事が出来なかった。
今朝、アラームが鳴ってから、なんとなくX(旧:Twitter)を見ていたら、とあるシンガーソングライターの訃報を見つけて、呆然とした。殆どそれで目が覚めたと言っても良い。
報道はそこから十時間以上前、つまり昨晩にはされていた訳だけれど、実際に死去したのは一週間前らしいし、僕が知ったのは今朝だった。

自転車のパンクを直すのに、家から二キロメートル離れたイオンまで押して行く必要があった。完全にパンクした状態で一か月以上放置していたのは、通勤で使わなくなったのと、押して行く際に視線を浴びるのが嫌で、億劫だからであった。
町の人通りは平日の朝が最も少ないだろうと思い、昨日も朝七時にアラームを掛けていた。しかしいざアラームが鳴っても全然起き上がる気にならなかった。iPhoneで天気予報を見ると霧雨だった。それと、低気圧で自律神経の調子が悪いことを言い訳に、昼過ぎまで二度寝した。結局昨日は外出をしなかった。
で、今日は昨日よりもやや早めに、六時半にアラームを掛けた。結局七時半までは満足に目も開けなかったし、起き上がらなかった。僕はベッドの中でモラトリアムを謳歌していた。実際のところ半分は、モラトリアムに苦しんでいた。
寝不足なのか、気圧がまだ上がりきらないのか、どうにもわからなかったが起きるのがとにかく酷く辛く思えた。スヌーズ、もとい時刻を再設定して掛け直した四回目のアラームが鳴って、やっと起きる方向に気分が傾いた。
憂鬱と言うよりはひたすらに億劫で、それゆえに辛かった。今日は土曜だし、パンクした自転車は押すだけでゴムが鈍く擦れる音がする。僕にはその事がわかっていた。それが原因で町中で人目を浴びるであろう事も。けれど、何時までも放置している訳にはいかないし、車も持っていないんだからいい加減に直す必要があった。来月頭には数キロメートル離れた役所に行って手続きをしなければならないし。
逡巡して、とりあえず空腹で痛んでいる胃に物を入れる事にした。加えてiPhoneの画面を明るくして、目覚ましがてらSNSを開いて文字を追った。ニュースを発信するアカウントが政治の話題を取り沙汰していて、一応遡って見てみる事にした。そこで、見知ったシンガーソングライターの訃報を見つけて、それで、やっと目を覚ました。

シャワーを浴びて髭を剃って歯磨きをして着替えをした。赤い靴下しか見当たらなかったからそれを履いた。自転車の鍵をどこにやったか思い出すのに数分間を要したが、帽子掛けに掛けていたことを思い出して、見つけると早々に手に取って部屋を出た。
駐輪場にある、後輪のパンクしている自転車は、一瞥しただけではタイヤがズレているだけのようで、そう問題があるようには見えなかった。パンクした当日はもっとわかりやすく破損していたが、今はそうでない。穴の開いたチューブが切れてホイールに巻き付いてしまったがために、チューブは当日中に切り離して捨てていた。
鍵を挿して回し、スタンドを軽く蹴り上げる。おそるおそるハンドルを持って引いてみると、やはりギィィと音がした。けれどその音は、危惧していたよりも大きくはなかった。それで立ち止まったり戻ったりする意味を失い、進み出した。

狭い歩道の、人の往来が普段よりも増して目に付いた。人とすれ違うときは自転車の後輪からの音がより大きくなっている気がした。住宅街から町の中心部に向かっていくにつれて、それがあながち気のせいではないことに気付く。つまり、すれ違う際にハンドルに力を入れたり、早く通り過ぎようとすることで負荷が掛かり、タイヤがホイールに擦れる音が大きくなるという具合だった。力まないように、優しく押すように努めたが、上り勾配ではどうしても鈍く音が鳴る。それを仕方ないと割り切り、背中が汗ばんでいることを自覚しながら自転車を押す。
道のりの半分は過ぎたであろうところで、着けていた腕時計を見遣ると時刻は八時五十分だった。イオンは九時開店だから、存外丁度良い時間だと思った。起きるのに時間を要して、シャワーまで浴びて支度した割には遅くならなかった。もっとも、もっと早く起きていれば洗濯や掃除だって出来たのだが、僕には多分、そこまでは無理だった。

そうして九時を過ぎる頃にはイオン構内の駐輪スペースに自転車を止めた。結局最後の方まで、人とすれ違うときは後輪から決まって音が出たが、それはもう過ぎたことだった。早速モールの外側にテナントがあるイオンバイクに入り、努めて一直線にレジの方面に向かう。すると一人いた男性の店員が察して「いらっしゃいませ。どうなさいましたか」と訊ねてくる。後輪を修理して欲しい旨を伝えると、自転車を持ってくるように言われた。再度駐輪スペースに行き、そこから店内へと運んでくると、僕は待っていた店員に、極めて事務的に破損の詳細を伝える。修理は、チューブのみ付け替える対応も出来るようだったが、ややすり減っていたタイヤごと交換してしまうことにした。口頭で見積もりを貰ったところ、インターネットで調べたよりも大分値が張った。しかしここまで来て他に選べる手段もなかったので、止むを得ず承諾する。修理には一時間半ほど掛かるとのことで、番号札を預かった。ネットで調べたよりは早いな、と思った。一人目の来客の筈なのに、札に印字された番号は9だった。

少しの待ち時間が出来たのでおもむろにモール内に入ると、まず書店に向かうのにエスカレーターに乗った。二階へと上がった先は洋服売り場で、書店のある雰囲気ではなかったので、三階を目指して更に上がったが、三階は駐車場だった。田舎町のイオンなので土地の割に階層が低い。書店は二階のフードコート付近にあることを思い出しつつ、エスカレーターを下りる。
未来屋書店に入り、店内を一周して、単行本の新刊の棚の前で立ち止まる。まず目に付いたのは先日読んだ『イッツ・ダ・ボム』だったが、今日の僕の心象はその内容とは掛け離れている。そこから目線を下げて行くと、三秋縋の新刊が表紙を向けて陳列されているのが目に付いた。店のポップに「6年ぶりの書き下ろし最新作」と銘打たれていて、タイトルは『さくらのまち』となっていた。内容に興味はあったし、読みたいとも思ったが、同時に、読みたくない、読むべきでない、とも思った。少なくとも今それに捉われるべきじゃないと思い、値が張るから文庫本になったら読もうと、心の中に落としどころを付けた。

自転車を押して歩いたことで少し疲労があったので、二十分もしない内に書店を出て、一階に下りてスタバに入った。普段はコーヒーかコーヒーフラペチーノしか頼まないけれど、少し若者ぶってダークモカチップフラペチーノを頼んだ。本当の若者は期間限定の芋だか栗だかのを飲みそうだけれど、物心付いてからスタバの期間限定を飲んだ覚えがないから、生まれてこの方本当の若者になったことがない。
支払いを済ませて、ドリンクをカウンターで受け取り、向かい合わせになった二人掛けのソファー席が空いていたのでそこに座る。まだ昼前なので空いていたし、迷惑にはならないだろうと思った。
小さなリュックからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に着ける。iPhoneとペアリングしたことを確認してApple Musicを開くと、検索のところに今朝見たシンガーソングライターの名前を打ち込んだ。

そのシンガーソングライターの曲は殆どが生死と密接に関わっていて、そうでない曲にも現代的ながらノスタルジックな印象があった。曲自体がというよりは、過去に曲を聴いていたことを思い返してそのような印象を抱いた。だから痛々しくて、満足に聴けなかった。別にきっかけが違えばちゃんと聴いていたんじゃないかと思う。しかしながら、人生の多感な時期に聴いていた楽曲群は、真に多感にならなければ聴くことは出来ないだろう。
僕は昔から、人の死を作品にするのはずるいことだと考えていた。それに値が付くのは酷いことだとも思っていた。それは具体的であれ抽象的であれそうだった。けれども、その死に自分を投影出来るのであれば、それは価値のある、生であるのだと納得もしていた。明らかに自分と切り離されている死を、わざわざ手元へと迎え入れる行為は病的である。だが、その死を一度体内に受け入れ、還元出来るのならば、やる意味はある。寧ろ、そうでなければ、人の死を正しく消費出来ない。
そこまで考えて、あの頃、多感な時期の僕はしっかり若かったのだと思い至る。今の僕は曲を聞き、そこに埋め込まれたコードやリフを漁って、あの頃の匂いを辿っているだけで、本当に多感にはなっていない。過去に買ったCDのB面の曲が良かったことを思い出して、当時の記憶を人生の通過点として眺めて、死よりも生を直接的に見ようとしている。

およそ一時間、紙ストローでダークモカチップフラペチーノをちびちびと啜っていたが、カップ内部の中央にクリームとチップと氷とが固まって、結局吸いきれなかった。マドラーやスプーンがあれば、蓋を外して掻き出して口に入れることは出来ただろうが、そこまでして消費する必要性はないと考えた。紙ストローはしなしなになって、ストローとして十分に機能しなくなっていた。十時半になったので、店内のダストボックスに、塵を分別して捨てた。飲み残しと表記のあるステンレス製の穴に、飲み残しの汚れたクリームが付着した。

イオンバイクに戻ると、レジにいる店員は女性の方になっていた。予め財布から取り出していた番号札を提出する。「すみません、修理いただいていたんですけど」と告げると、「そちらですね」と後ろを向くように促された。実際に、そこに修理済みの自転車が置かれているのを確認する。その過程で、レジ横で別の自転車を弄っている、先程の男性店員に気が付いた。
タイヤ交換に必要な部品代に工賃を含めた金額を支払い、加えて二百五十円で虫ゴムを購入した。今回パンクしたのはおそらく、虫ゴムの劣化が原因で、空気がすぐに抜けてしまう状態のまま無理に乗っていたからだと当たりを付けていたから。タイヤ交換しかされていないのなら、虫ゴムは自分で取り換える必要がある。修理を申し出る際に虫ゴムのことを言っておくべきだったと反省したが、すぐにそれも過ぎてしまったことだと諦めた。
自転車を押して店を出る際、二人分の「ありがとうございました」が聞こえた。再び自転車を駐輪スペースに止める。必要な消費をした、と思った。

それからは、併設された家電量販店を少し見て、フードコートでうどんを食べて、スーパーで買い物をした。別に、家に冷凍食品の備蓄はあったし、わざわざ慣れない自炊をする必要はなかったが、なんとなく野菜と肉と、鍋の元を買った。豆腐も買った。米は重量があるため、自転車が使えない内は買いに行けていなかったので購入するか迷ったが、何かの間違いで修理後すぐの車輪に不具合が出たら大変だと思い、見送った。代わりにパックご飯を腕にぶら下げたカゴに入れた。
会計を済ませ、エコバッグに物を詰める。普段と違い、野菜が多いことに何か多幸感があった。ふと思い立ち、イオンの中の薬品売り場で皮膚薬を買って、外に出た。この土日は町で祭りがあるらしく、正午過ぎから交通規制が掛かるのを思い出す。駐輪スペースへ急ぎ、葱が一本はみ出たエコバッグをカゴに入れる。一瞬、初音ミクにでもなったような気がして、世の主婦は毎日こんな気分を味わっているのかと思った。多分それは思い違いだった。

おそるおそる自転車を漕ぎ出すと、荷物の割に驚くほどペダルが軽かった。イオンのゲートを潜り抜けて、町へ出るともうすでにちらほらと露店が出ている。信号機に従って狭い道を通行する。祭りの日に自転車を修理に出して、普通に買い物をするという体験は、極めて個人的で現代的な気がした。曲がり角で串焼きの屋台を見つけて、美味しそうだと思ったが、今、無駄な消費をするのは違うと思った。

ペダルを漕ぎながら、もしかして僕は今日、正しい消費しかしていないんじゃないかと思った。いくつか思い返すと、それがなんだか腑に落ちてきて、皮肉にも胸のすく思いになる。信号を待つのが苦ではなかった。
程なくして見慣れた景色の住宅街に入り、契約している賃貸の、駐輪場に自転車を止める。後輪のホイールを見て、空気入れのキャップが新しくなっていることに気が付く。

今日のことをエッセイにしたらありきたりになると、イオンを出たあたりでそう思っていた。そして実際その通りだった。

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