「ありがとう」をたくさん貰える人生であろう
「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、お釈迦様は教えさとされているのです。
これが「ありがとう」の語源です。
これを見て、あなたはどう思ったのでしょうか?
普段あなたが言っている、「ありがとう」の由来はこれからきているものだと思います。
振り返るとそうではないでしょうか?
先日あげたnoteを改めて、自分自身に何を伝えたかったのか、
サブターゲットである身近な友達に何を伝えたかったのかを冷静に考えて、あのnoteの本質を客観的に考えました。
伝えたかった事は、「ありがとう」を貰えた数でその人の人生の価値は決まるって事です。
自分の人生が幸せかどうかは、その人の判断で決まります。
ですが、客観視された時の価値はそう決まるのではないかと思ったわけです。
元来、物々交換が始まった時代から、
今に至るまで、「価値と価値の交換」が資本主義社会の本質になりました。
そこからの時代背景で、人はなぜ物々交換を始めたのかを考えました。
個人の見解ですが、その時代は個で生きる事ができる時代ではなく、世のため、人のためという言葉が生まれている時代ですし、村八分というのもあったぐらいですから、皆で生きる時代だったのかなと考えました。
最初は作物のお裾分けから始まったのだと思います。
そこからくる感情からすると豊かな人であることが想像できますが、
環境がそうであったせいか、お裾分けされた人はお返しを渡すようになったのではと。
それで初めて人は、与えると返ってくる事を知ったのでしょう。
そのめったにない事象が生まれて、はじめて有難うという言葉が生まれたのではと思います。
そのありがとうを目に見える形にしたのが、作物で、それでも作物は期限がありますから、期限がない「貨幣」に進化したのです。
はい。お金は汚いものではなく、ありがとうの気持ちなのです。
実際に偉人や教科書に載っている人達は、
悪い事で載っている人もいるかもしれませんが、
多くの人は、ありがとうを人より貰っている数が多いのではないでしょうか。
その人達は、恐らく無形資産(目に見えない資産、人脈、経験など)が死ぬほど溜まっているのではないでしょうか。
少し話は変わりますが、与える人の目線で話すと、
瞬間的に貰えるありがとうと、
ありがとうを最大化できるのならどちらを選びますか?
ほとんどの人は、後者というのではないでしょうか。
前者はいわゆる、短期思考で、後者は長期思考と言われると思います。
短期思考のメリット・デメリットを伝えると、
何か買う時に欲しいと思った感情を優先する事で、瞬間的にありがとうは得る事ができます。(メリット)
ですが、その感情すら人は忘れてしまいます。(デメリット)
長期思考は、
ありがとうの価値を最大化するですから、
そのありがとうを得るために、時間を要します。
(要は価値を作る事に時間をがいる)
(これは、最初我慢を要します、これがデメリット)
ですが、その価値をつくる過程で、時間やお金を投資する訳ですから、圧倒的無形資産が集まります。
人に聞く事で信頼ができ、それをすることで唯一無二の経験ができます。
そして最後に、最高のありがとうが返ってきます。
こう見れば断然長期思考が良いと思われますが、
それは違います。
どちらもありがとうを貰う上で大事です。
長期で貰えるありがとうは、短期で貰えるありがとうの積み重ねだとも言えるからです。
結果、人生はありがとうを貰えた数が多いほど、豊かになるという事を皆さんの記憶に残ればなと思います。
ps:告知です。
高頻度でこれからnoteがあがります。
日常から未来や過去、様々な所からnoteにしていきたいと思っているので、みなさんも何か新しい事に最初はしょぼくていいので、挑戦していきましょう。