催眠術と抽象度
催眠術を使うようにやって、7か月目あたりから、何やら私自身に変化が起こり初めた。
それまであった、「掛けた」という一種の「手応え」のようなものが私の体感として無くなって来てしまったのだ。
掛けた結果はこれまでと変わらないが、私自身「掛かっているかどうか分からない(>_<)」と感じ、至極慌てることに。
催眠術の先生方に質問すると、催眠術をやり始めた多くの人が通る道なのだと言う。そこで、私は、セッションモニターへの施術を一時中断して、ひたすら非言語催眠術の基礎練に励むことに。どのような基礎練をするかと言うと、共感覚訓練、催眠仲間との間での図形や色や感情送信と受信、イメージ練習などだ。
奇しくも同じ頃、同時期に習い始めた練習生仲間たちにも何やら変化が起こり始めた。多くは、「映像として見えなくなってしまった」「体感が弱まってしまった」と、私と同じような感覚だと言う。
ある練習会にて、ある講師の先生から、抽象度(※)に関するアドバイスを受け、なるほど意識してみると、以前とは全く同じではないが、体感が戻って来るようになった。
抽象度を自在に操れるようになること、これが目下の壁だったようで、以後それを意識するようにしたところ、私自身の中の焦りのようなものは、現在薄れつつある。
※抽象度とは、物事を見るときの視点のレベルの概念や情報のことを言う。例えば、「柴犬」と「チワワ」と犬種で分類して見るよりも、「犬」として認識する方が抽象度が高い。さらに、高く見ようとすると、「脊椎動物」や「哺乳類」となる。