母 パーキンソンになる 12
ようやく、爽やかな季節になるのかと思ったら黄砂だの地震だのミサイルだのと落ち着かないニュースばかりで気が滅入ることが多いようだが、母の体調はまぁ落ち着いていて一安心・・・というわけにもいかなかった。母の義理の姉が亡くなり、いきなりテンションが下がってしまった。車で1時間半くらいの距離なのだが、コロナ禍でその距離は想像以上のものとなって、丸々3年会わずにお別れとなってしまった。
車で行けるとはいうものの、高齢者に「1時間半座っていろ」というのは中々厳しい話である。水にチョコレート、飴をもち、緊急を考えて高速道路は使わずの移動となった。車に乗っているという非日常の状態なので意識して水分をとらせる。昔の人は乗り物に乗るとなると飲食を控えてしまうのでこちらがいつも以上に口うるさくいうことになる。
最後のお別れ、通常であれば火葬の前にするのだが、本人のメンタルが持たないだろうなとの私の判断で葬儀にのみ参列。元気だった時のままの遺影にお別れを告げる。親戚遠縁とはいえ普段会わない方々が揃っていたので緊張感があったのか、ゆっくりではあるがしっかり歩けた。すくみ足の症状も出ずであった。慣れない場所、転んではいけないの緊張感からなのだろうか。緊張することが脳に何らかの刺激を与え症状を抑えるのかな。ま、その反動で帰宅してから次の日まで、ぐったりしてはいたけれど。
母によると、遺影の前ですでに亡くなっている義理の母と亡くなった(遺影の)義理の姉がニコニコしながら、どこに出かけようかと話していたのだそう。「嫁と姑だけど仲良かったんだね」。人間魂がピュアになってくると真理が見えてくるのだろうか。