自分に向けてのボランティア

昨日はずいぶんな晴天だった。
人通りもなければ車通りもぼちぼちな田舎道を、えっちらおっちら歩いて、こぢんまりしたお寺に行ってきた。

お寺で催されるボランティアに参加してきたのは誰でもなくこの私である。

全国から寄せられるお裾分けを、貧困家庭にお裾分けするための発送準備のお手伝いをする。
うすぼんやりと黒猫の宅急便とかを思い浮かべてはいたものの、実際に何をするか全然想像できなかった。
事前に仕分けするとか箱詰めするとか、終わりに茶話会があるとか、そういう説明はしてもらっていたけれども、やっぱり想像していなかった。

受付して名札を貰って、慣れない場所でとりあえず本がぎゅうぎゅう詰めになった本棚に目が向かった。
お寺に置いてても違和感のないラインナップに安心するやらなんやら。
手塚治虫先生のブッダがあったので、本を持ってきた人はセンスが良い。

手持ち無沙汰のまま開始を待って、始まるとまずは本日の予定と作業の説明。
そして読経。
作法がよく分からんのでとりあえず配られた経典を見ながら私も唱えるけれどマスクで息苦しい。
低酸素状態で危うく意識を持っていかれそうになってしまった。

読経が終わると本格的に作業の説明。
お裾分けするものを仕分けして、段ボールに詰めていく。
段ボールには簡単な家庭環境と、お子さんのこと。
私が担当したのは小学低学年の男の子(6歳とする)がいる母子家庭だった。

段ボールに詰めるのは基本がお米。
シャンプーとボディソープ。
檀家さんの畑でとれた柑橘類。

あとこれが至難。
ほんとに難しい。

山盛りある食品菓子類生活用品から、私自身が担当のご家庭に必要だろうと考え得るものを発掘して詰めていくのだ。

「6歳の男の子って何喜ぶの???」

日々の買い物。
食器用洗剤があると助かる。
乾き物は日持ちするし出汁もとれるしそのままでも美味しい。
缶詰も然り。
お母さんが喜ぶだろうものは、なんとなく分かる。
自分なりに山の中に分け入ってはあれこれ吟味して、吟味して、吟味してたら「6歳の男の子何が好きか問題」が発生した。

6歳。
自分が6歳のときは何が嬉しかったか思い返してみると、とりあえずお母さんのご飯美味しい。
あと果物が美味しい。
とりあえず美味しいものは美味しい。
短絡的だった。

まー彼が何を喜ぶかなんて分からないし、分からないからそこそこ悩んで段ボールに詰め込んだ。
喜ぶか喜ばないかは彼次第である。

段ボールが全て埋まって、手持ち無沙汰なりに空っぽになった空き箱なんかを集めたり縛ったりしていたら発送準備が済んだ。

ひと段落すると長テーブルが並びお茶が淹れられ、参加者が続々と腰を据えた。
どこに溶け込んでやろうかと悶々としていると、同じく手持ち無沙汰気味だったお嬢さんとぎこちなくお喋りして、二人してお誕生日席に落ち着いた。

美味しい緑茶をいただいて、回ってきたお茶請けをいただいた。
お隣のお嬢さんがお帰りになるので、私も便乗して帰路に着く。
あの場にとどまっていたらまた何か変わったのだろうか。
分からないけれど、ひと仕事終えた満足感でお腹いっぱいだったのだ。
帰りがけに、お寺から林檎をお裾分けしていただいた。

ここ暫く手持ち無沙汰だった私に、珍しく与えられてまっとうできた役割は結構気を使ったし疲れはしたけれど、嫌ではなかったと思う。
ズッシリ重たい林檎に、満足感が質量を持った瞬間だった。

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