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【トルコ人ランナー「みんな一つ」=友好の町で聖火つなぐ―和歌山・串本】

【トルコ人ランナー「みんな一つ」=友好の町で聖火つなぐ―和歌山・串本】【トルコ人ランナー「みんな一つ」=友好の町で聖火つなぐ―和歌山・串本】昨日「トルコ友好の町」として知られる本州最南端の町、和歌山県串本町で9日、トルコ人女性がランナーとして聖火をつないだ。ということです。実はトルコと日本とは真心』で結ばれた「強い絆」が先人たちの努力により築かれおります
教科書に載っていない素敵なお話をお届けいたします。歴史を知る大切さ、全て繋がっているんですね。そして心が”やさしく”なれます♪
”それは今から36
年前、昭和60年(1985)の3月12日の出来事です。
イラン・イラク戦争が勃発、「イラン領空の航空機を48時間以降、無差別攻撃する」イラクのフセイン大統領の宣言で、テヘランの外国人は一斉に国外脱出を図るも、ときの日本政府は救援機を出すことができず、幼児を含む日本人二百数十人...が取り残され、脱出は絶望的となっていました。
さて、誰もが打ちひしがれたその時、トルコが立ち上がったのです。「今こそ、我々が日本人を助ける時だ!」そう、トルコの人々は日本への『恩』を忘れていなかったのでした。
明治二十三年(1890)、新善使節を乗せて来日していたトルコの軍艦エルトゥールル号が、帰路、和歌山県串本の沖で台風に襲われて沈没。この遭難事故で、トルコ特使を含む518名が死亡してしまいましたが、死を免れた69名は、地元漁民の手厚い救護により一命を取りとめます。
このとき串本の村人たちは、台風により漁ができず、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護しました。貧しい村人たちにとっても、ほんとうに命がけの救助と介護だったのです。そして遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。
東日本大震災後、原発事故も起こる最中、被災地に三週間も留まり、献身的に救助活動を続けてくれた国、それがトルコなのです。日本とトルコとは『真心』で結ばれた「強い絆」があるのです。
後日、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語ります。
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エルトゥールル号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。
トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。
今の日本人が知らないだけです。”
どうですかなんて素敵な話ではないでしょうか?
今日は”ありがとう”の気持ちで一日を過ごしましょう!

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