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【昭和20年8月17日『玉音を拝して』】”海賊と呼ばれた男”出光佐三”私もの好きな偉人のお一人です(^^)

【昭和20年8月17日『玉音を拝して』】”海賊と呼ばれた男”出光佐三”私もの好きな偉人のお一人です(^^)

「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思う」これは昭和天皇が出光興産創業者・出光佐三の追悼に寄せた歌である。

私は下記の出光佐三氏が当時 従業員に言った言葉が心に響きました!十五日恐れ多くも玉音を拝し御詔勅を賜はり涙の止まるを知らず、いい表はすべき通常なる言葉を持ち合せませぬ。
ー省略ー
私はこの際、店員諸君に3つの事を申上げます。

一、愚痴を止めよ

二、世界無比の三千年の歴史を見直せ

三、そして今から建設にかかれ

愚痴は泣き声である。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざる所である。只昨日までの敵の長所を研究し取入れ、己れの短所を猛省し、総てをシツカリと腹の中に畳み込んで大国民の態度を失うな。

三千年の歴史を見直してその偉大なる積極的国民性と廣大無限の抱擁力と恐るべき咀嚼力(そしゃく)とを強く信じ安心して悠容迫らず堂々として再建設に進まねばならぬ。

仏教の渡来は国民思想に一大混乱を巻き起し、遂に道鏡の暴逆となり、国体を危くしたのである。即ち宗教による国難である。而して仏教は発生の地インドに亡び、支那に衰へて神州日本に抱擁、保育され発達して我国としても無くてはならぬ宗教となったのである。

ひとり仏教のみならず孔孟の教へも又、神州において咀嚼せられて国民道義の根幹となった。偉大なる咀嚼力である。

元寇の乱、これは今日に比すべき大国難である。神風東南に起りて三万の敵兵を海底の藻屑としといえども、元軍の再來は必至と息はれた。今日と異り敵状を知るに由なき時であるから、全国の津々浦々に防塁を作り待機の姿勢で居たのである。
半年は過ぎ一年は経過し、三年五年と待つあるを頼む中に、鬱勃たる闘魂はついに外に向って爆発したのである。敵来らずんば我行かんとの闘魂と化したのである。倭寇となりて今の清洲から山東省、中支、南文に向って敵を震撼せしめた山田長政のタイ(シャム)征服も其の一である。神州不滅、隠忍持久、総力発揮の好歯の前例である。偉大なる積極的国民性である。

ひとり仏教や儒教のみならず支那に於ける古き芸術絵画、陶磁器、銅器等の文化はその本家支那において亡びて、日本において保有せられ、育成せられ、日本化されて無限に発達しておる。偉大なる保存抱擁の力である。

若し神州日本が無かったならば、東洋の文化、芸術、宗教と言ふようなものは亡びておったと言ひ得る。大東亜にとりては有難き日本であり、無くてはならぬ国体であり、国体の精華発揚が大東亜の幸福であり、やがては世界人類の幸福である事も間達ひないことである。国体の尊厳がやがては世界全人類の幸福である事も間違ひないことである。

陛下は、任重く道遠し、と仰せられて居る。人類に対する吾々の任務は実に重いのである。戦後の始末をなし、更に日本の眞の姿を全世界に示し、眞の任務が果されるのは実に遠いのである。重き荷を負ひて遠き道を歩かねばならぬ。

それには非常なる力を要する。然るに率直に申して、国民は悲観のドン底に落ちて力も出ない、また極度の不安のためその日その日にさへ堪へられない気持もあり、お先真暗の感あると言うべきである。無理からぬことではあるが、しかしながら、そんな弱い事では祖先に対して誠に申し訳けないのである。

何故悲観せねばならぬか、勝負も決しないのに敗戦の形を押付けられた事は理念であり、その失う所は大きく、前途に横はる苦難は測り知れないものがある。祖先に対し言葉がない。しかし、それはわずかに五十年の逆転に過ぎない。吾々は国体護持と、特攻精神の発露によりて三千年の歴史に千金の重さを加へた事実を見逃してはならない。

この磐石の事実の上に毅然と立った時に、日本の新しい建設と使命とはハッキリとする。そして希望に満ちた新らしい力は無限に出る。愚痴など言つとる時でない事がわかる。
ー中略ー

日本人は艱難を永久の友とする所に、日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。苦労を恐れるものは日本人たり得ないものである。祖先の墓前に割腹すべきである。

戦う日本人の姿、掌を返したるが如き平和人の姿、こが日本の眞の姿であり、大国民の襟度である。世界は再び震撼するであろう。戦争より更に苛烈なるものが前途に横はつておるのであるから、明日と言はず今から直ぐ建設に力を致すべきである。
ー中略ー
私も従来『出光は事業そのものを目的とするにあらずして、国家に示唆を与えるにあり』と諸君に訓して来ました信念から申しましても、戦後の難局に応じて、国家が出光主義の行者を要する事は論をまたたないのであります。暫く経過を見たいと思ひます。

*当時、多くの企業が人員を整理する中、出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言しました!

戦後の日本人に勇気と元氣を与えた経営者の一人です!そして 日本人魂をお持ちでこれほど後世の日本を憂いでいた人物はなかなかいなかったのではないでしょか!

かんながら ありがとうございます。

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