【レジュメ】権藤成卿の君民共治論

◆なぜいま権藤成卿か
・倫理の不在、信仰の軽視、人権の盲信、世論の跳梁、経済的自由追求の強欲という近代的思想の欠陥が明らかになった
・明治時代以来の「富国強兵」「殖産興業」の政策 欧米の模倣、格差
・権藤の著述…日本の歴史をひたすら描く 歴史とは知識ではなく世界観
・社稷…土地の神と穀物の神 信仰に基づく共同体
・自治…上からの強制でない古き良き共同体
伝統を破壊する政策は「上」から行われた

◆権藤成卿とはどのような人物か

・明治元年生まれ 現在の久留米市の名家 二松学舎で漢学を学ぶ
・父、松門 真木和泉らとともに学び、平野国臣とも交流
 明治四年久留米藩難事件に関与 久留米藩難事件(明四事件、二卿事件)
 明治政府が成立すれば攘夷が断行されると信じていたが、開国政策に失望
 愛宕通旭(勤皇派公家)、大楽源太郎(長州藩士族)、久留米勤皇党が結託
 事前に政府にばれ失敗、首謀者殺害
※明治初年までに全国各地でこうした事件が頻発 裏切られた明治維新
・曽祖父、壽達 全国を回り勤皇を訴えた高山彦九郎と連携、彦九郎の自刃にも関与 壽達はその罪で幽閉され死去
・壽達の祖父、…大中臣友安に学び『南淵書』を伝授される…成卿学の核心
宕山の高弟、田中宜卿…竹内式部と交流、宝暦事件の余波で謹慎、餓死
・武田範之と朝鮮事業に挑戦、失敗、謹慎 弟震二が黒龍会結成に参加
後に成卿も黒龍会に参加、内田良平のゴーストライター
・黒龍会…日韓合邦 内田良平、武田範之、樽井藤吉、権藤成卿
 日韓合邦の理想は裏切られ日韓併合に
※武田範之と権藤成卿の論争 松本健一『革命的ロマン主義の位相』
武田範之(内田良平)…中国に中国魂があり日本には大和魂がある。いまの中国は満州族が支配しているので中国魂が発揮できていない
権藤成卿…大和魂は既に朽ち果て、中国魂も発揮できていない。お互いに道を興すしかない  *アジア主義とはなにか? 田中逸平「古道の覚醒」
 ・老壮会に参加、自治学会の旗揚げ 安岡正篤の金鶏学院で講義、
長野朗、橘孝三郎とともに農本連盟の結成
藤井斉が権藤の『自治民範』に傾倒、五・一五事件の青年将校に影響
ただし権藤は蹶起に反対 事件後逮捕されるも釈放
 ・昭和十二年七月七日、盧溝橋事件発生の報に失意の中死去。六十九歳。
◆著作(ウィキペディアより)
『皇民自治本義』富山房、1920年
小沢打魚、権藤成卿校註『南淵書』上中下巻、権藤成卿、1922年
『自治民範』平凡社、1927年
山県大弐著、権藤成卿訓訳、須藤宗次郎編『柳子新論』洪文社、1928年
飯塚納著、権藤成卿編『西湖四十字詩』松木多賀司、1930年
『日本農制史談』純真社、1931年
『君民共治論』文藝春秋社、1932年
『日本震災凶饉攷』文藝春秋社、1932年
『農村自救論』文藝春秋社、1932年
『八隣通聘攷』上下巻、平野書房、1933年
『間々子詩』前篇・後篇、権藤四郎介、1933年
『農村の困弊と食糧問題』自治学会、1935年
『自治民政理』学芸社、1936年
『其後に来るもの 血盟団事件 五・一五事件二・二六事件』平野書房、1936年
◆『権藤成卿の君民共治論』の構成
◆『君民共治論』『自治民範』の内容 ※維新前『君民共治論』維新後『自治民範』
 ・神武天皇による橿原朝廷の創始…古代の成俗を基礎とした
・綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元天皇…民衆が自ら治めるまま、特に歴史的に記すべき問題すら起こらない安定した御代
※『自治民範』…土台を社稷に据えて「民を以て休戚となす」という典範を奉じ、「その飢寒を見ては則ち之が為に憂い、その労苦を見ては則ち之が為に悲しみ、賞罰身に加えるがごとく(税金を取ること)己に取るがごとし」という遺例を体統して、民衆と共にを祀られた
 ・開化天皇…朝鮮人の流入や朝鮮情勢の変転により事態は一変。
農業技術の進化…格差の拡大
・崇神天皇…事態が改善しなかったので八百万神に占いで尋ねる…神器を天統の公器として奉祀し、社稷の基礎を固めた 公と私、祭祀と政治、宗廟と社稷が分けられることとなった
「農は天下の大本なり」…民の衣食住を慮るのが政治の法則
 ・垂仁天皇、景行天皇…諸豪族が発達 熊襲の反乱
 ・成務天皇…自治立制のご裁定
「仁政は必ず徳界より始まる」人為の無理を許さず自然の地形に基づき国や郡を整える
 稲置(郷倉、屯倉、社倉)の設置…食糧の備蓄 調和的共同的治世 地方多数の自治組織が中央を確立する体制 現在の上から定められた市町村制とは雲泥の差
 土地の収穫高に合わせ民の生活に無理がないように課税する…明治の地租改正の時も明治天皇にはこの心があったが藩閥政府が歪めた
・仲哀天皇、神功皇后、応神天皇…三韓征伐
・仁徳天皇…民を慮る 王仁に教えを受け外征に疲労した民を救う
・履中天皇…仁徳天皇の方針を受け継ぎ、庶民が豊かに
・反正天皇、允恭天皇、安康天皇…朝鮮半島情勢暗転、国内弛緩
・雄略天皇…士気復活。自ら農耕に従事、皇后は養蚕 人民を慰撫
・清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇…寛仁であるが光威において雄略天皇に劣る
・武烈天皇…暴政
・継体天皇…社稷体統の御大詔 民を慮り、天皇は自ら農耕を行い皇后は養蚕
 ところが国内はすでに功臣閥が中央と地方に懸隔を作る 国外情勢も不安定
 清寧天皇の頃に民を慮って作った屯倉は権力支配に転じ民は農奴と化す
・安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇…功臣閥(蘇我)はますます跋扈 仏教の流入
 仏教…荘厳な寺を建立、氏神に伝わる社や田を没収 男女交錯風俗破壊
・敏達、用明、崇峻、推古、舒明、皇極天皇…蘇我馬子の専横 各地に寺を乱立、人民の困窮 仏教…葬式法事請負所。釈迦の教えは忘れ去られる官僚の利用物
 遣隋使…南淵請安 南淵説…古代の自然自治の古俗を解明 海に近い者は漁をし、山に近い者は耕す。山海福利各々天の分に従う ※アンチグローバリズム
 ※大同=大道 中国の孔子が描いたといわれる理想世界の構想。『礼記』の礼運編にみられる。大同とは、天の公理に基づき人心が和合しよく治まったあらゆる差別のなくなった至公無私の平和な社会。大同を理想社会として「少数者の専有=私」に対し「多数者の均分=公」を求める構図は康有為、太平天国、孫文、毛沢東などにもみられる。権藤は康有為から大同思想の着想を得たとも言われる。
・大化改新が起こり孝徳天皇が就く「上古聖王の跡に従い天下を治むべし」
 屯倉の復活、国郡の整理、班田収授、税制改正 君民共治の詔
 白村江の敗戦、富豪僧侶の反発→容易な改革ではなかった
・弘文天皇 壬申の乱
・天武天皇、持統天皇、文武天皇 官治制のはじまり 仏教、唐朝文物の蔓延
 近江令=自然自治、大宝律令=唐の模倣
・奈良時代=宮殿寺院の荘厳、民衆の負担激増
・平安時代=光仁、桓武天皇では和気清麻呂の登用 民政の大家
・醍醐天皇の治世で近江朝の遺制に基づき延喜式が制定されるまでは天下悉く官僚仏教に去勢され、庶民の幸福と進歩向上の気魄は消尽し、貴族僧侶の跳梁跋扈
 延喜天暦時代でさえ地方の反乱など不穏な動き 道長らの専横
・後三条天皇が親政し大江匡房が歴代の学術をまとめるも実行されず 院政 ひどい状況であるが易姓革命が起こらなかったのは大衆の自然自治を愛する成俗
・鎌倉幕府=大江匡房の子孫大江広元、三善清行によって制度設計=良い統治
※承久の変『自治民範』 頼朝の血統が絶えたから討伐を決行しただけで、天下や人民、社稷をどうするかということが考慮されていない=名分が正しくてもダメ
※建武の中興『自治民範』 記録所を開いたことは天皇親政、社稷回復の動きに他ならないが、人民に対する御沙汰がなかった
・室町幕府『自治民範』細川頼之だけは良かったが民政を正すに至らず
 乱世であったが、かえって郷邑が結束し、平安時代ほどの苛斂誅求はなかった
・織田信長=大いに民治に意を尽くしていた 秀吉=信長を引き継いだ
・江戸幕府=中央たる江戸の権力を強固にして、地方を枯らし、皇室を軽んじる悪政 庶民を搾り取る 吉宗には高評価 田沼の悪政 竹内式部山県大弐高山彦九郎の反発
・明治天皇=君民共治の復活 福羽美静らを中心に近江朝に倣う
 『自治民範』王政復古、五箇条の御誓文と言った偉業もあるが、薩長に壟断され文明開化に踊る 郡県制度地租改正 土地兼併、農村困窮の状況を作り出した
 反官治=自由民権運動 しかし日清戦争、日露戦争で陸海軍閥の増長
 軍が跋扈する国は暴富者ができ貧富の格差が開く 官治の行き詰まり
 「維新最初の精神は痕跡すら留めなくなった」=あるべき姿への復古
◆権藤が戻ろうとした場所はどこか

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