Fateで学ぶ英雄の在り方。

こんばんは、けいごです。
本日は休みの日でしたので、とりあえず家族の買い物に付き合いながら車の中でFateと言うアニメを見てました。

今回はそのFateを見て学んだことを話したいと思います。

Fateシリーズはいくつかありますが、今回見たのは(半分くらいしか見てないけど)Fate/zeroという第四次聖杯戦争をテーマにした作品です。

一番最初のシリーズであるFate/stay nightの主人公である衛宮士郎の父(養子の父)が経験した物語になります。

登場人物が歴史上の英雄と契約を交わして争うわけですが、その英雄の一人にイスカンダル(アレキサンドロス大王)がいます。

他にも王としては、ギルガメッシュ、アーサー王がサーヴァント(契約された英雄)としているわけですが、脚注でその3人の王が「何故聖杯を求めるか」語り合うシーンがありました。

途中まで見た感じのところ、人情味の溢れるイスカンダル(ライダー)でしたが、アーサー王(セイバー)が「故郷ブリテンの復興」と語ったのに対して、イスカンダルは反論の意を唱えました。

ここからはイスカンダルとアーサー王とギルガメッシュのやりとりを抜き出しています。

以下イスカンダル→イ、アーサー王→ア、ギルガメッシュ→ギ

イ「貴様よりによって、自らが歴史に刻んだ行いを否定するというのか。」

ア「そうとも。何故訝る。何故笑う。剣を預かり、身命を捧げた故国が滅んだのだ。それを痛むのがどうしておかしい。」

ギ「おいおい聞いたからライダー(イスカンダル)この騎士王と名乗る小娘はよりにもよって、故国に身命を捧げたんだとさ」

ア「笑われる筋合いがどこにある。王たるものならば、身を挺して、治める国の繁栄を願うはず。」

イ「いいや違う、王が捧げるのではない。国が、民草が、その身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない。」

ア「何を、、。それは暴君の治世ではないか」

イ「しかり、我らは暴君であるがゆえに英雄。だがなセイバー(アーサー王)自らの治世をその結末を悔やむ王がいるとしたら、それは暗君だ。暴君より尚始末が悪い。」

ア「イスカンダル。貴様とて、世継ぎを葬られ、築き上げた帝国は三つに引き裂かれて終わったはずだ。その結末に、貴様はなんの悔いもないというのか」

イ「ない。余の決断。世に付き従った臣下達の生き様の果てに辿り着いた結末であるならば、その滅びは必需。痛みもしよう、涙も流そう。だが決して悔やみはしない。ましてそれを覆すなど、そんな愚行は、余とともに時代を築いた全ての人間に対する侮辱である。」

ア「滅びの華を誉れとするのは武人だけだ。力無きものを守らずしてどうする。正しき統制、正しき治世、それこそが王の本懐だろう」

イ「で、王たる貴様は正しさの奴隷か」

ア「それでいい。理想に準じてこそ王だ」

イ「そんな生き方は人ではない。」

ア「王として国を治めるのなら、人の生き方など望めない。征服王(イスカンダル)たかだか我が身の可愛さのあまりに、聖杯を求めるという貴様にはわかるまい。悪なき欲望を満たすためだけに、覇王となった貴様には」

イ「無欲な王など飾りようにも劣るわい。セイバーよ。理想に準じると貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で犯しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという茨の道に、一体誰が憧れるという。焦がれるほどの夢をみる。王とはな、誰よりも強欲に、誰よりの豪笑し、誰よりも激怒する。清濁を含めて、人の臨界を極めたる者。そうあるからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人ひとりの民草の心に、我もまた王たらんと、同系の火が灯る。騎士道の誉れたる王よ。確かに貴様が掲げた正義の理想は一度国を救い臣民を救済したやもしれん。だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい。」

ア「なんだと、、、」

イ「貴様は臣下を救うばかりで、導くことをしなかった。王の欲の形を示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ一人で澄まし顔のまま、小綺麗な理想とやらを思い焦がれていただけよ。故に貴様は生粋の王ではない。己のためでなく人のための、王という偶像に縛られていただけの、小娘にすぎん」

長々と書いてしまいましたが、本当になるほど、、と思いました。

や、自分が英雄になりたいとか、王になりたい、欲を全開にして生きていく。というわけでは全くないです!!w

深いと思ったのは、
ただ優しく、助ける、救うだけではその人の先には繋がらない。希望は与えても導くことは難しい。という点です。
人に誠実に接することや、相手を敬うことはもちろん大切です。これは間違いありません。

言葉にして表現することが難しいのですが、やはり結果なんだなと思いました。ただ自分が人に優しく接したりするだけではそれはただの自己満足にもなり得てしまう。

自分でも今こうして書いてて、多分うまく伝えきれずに勘違いされるだろうな。と思っているわけなんですが、、、。

協力と調和は大切です。でも、周りの様子を伺うことばかりが正義ではないということを再認識させられました。

自分も今までにグループのリーダーとして学校行事などに携わる機会が何度かありました。どの行事も最終的には成功していましたが、果たして僕はリーダーとしてみんなを導けていたでしょうか。僕は誰かの憧れる存在になれていたでしょうか。

行事ごとでは、リーダーとしてやらなくてはいけないこと、実際にこの行事がどうあるべきなのかというのを常に考え行動したつもりでしたが、振り返ってみると、全員の様子を伺い沢山の人数をまとめることに追われていたような気がします。

ここ2、3年のテーマは

「周りの人を大切にする」

でしたが、それに加えて


「数字で魅せる男の後ろ姿」

これも追加します。



アニメを見ているとこんな感じに考えさせられる機会が本当に多いから楽しいです。

それが正しいか正しくないかは別として、なるほどな、確かにな。というようにいい意味で勉強させられることが多々あります。

是非見てみては!