ケンカをさせてもらえない子供、けんかの仕方を知らない親

30代
周りでは結婚、出産を経て、子育て期間に突入している友達が増えてきた。
年齢的には世間でもそんな感じだろう。

そんな中で、友達の子供達が家の中または公園で一緒に遊んでいたりする時
小さいときには特に物の主張での対立が起こる。
(対立と言っても可愛いものだけど)

そんなとき親は声かけはまずする。
かなり早い段階で。
それはいいのだけれど、問題はその後。
声かけした後に、すぐに手を離させてしまう

強制的に

可愛い対立から叩いたりとかひっぱたりしてケガさせたりしたりが嫌なのだろう。
もっと現実的には、それて子供の服が汚れたりするのが嫌なのだろう。

今では普通の光景なんだろうけど、
子供のためにはならんよね。

見える範囲ではあるが、


危険性が少しでもあるものは触れる前に排除する

これが主だった流れだろう
人でも、物でも、ツールでも、サービスでも

人に関しての小さいときや幼い時の危険性としての1つがケンカ。

相手に傷をつくし、自分も傷つくし。
痛い目を見るというやつ。

この小さい時、幼い時のケンカは悪いのか?

殴りあいのケンカもあれば
口でのケンカもある。

ケンカを悪いという人は、ケンカをただの傷つけあいにしか見てない。
ケンカでの重要性はそこじゃない。

重要なのは、

加減を体験、理解することと
収め方と赦す度量を身に付けること

最近も増えてきてるいじめやリンチ
まず加減を知らないことが影響の1つ。
やって良いわけではないが、どこが限界点なのかを知らないのは危険。
昔は自分も分からなかったかもしれない。
やられることもあったけど。
身をもって知ることが出来たのは良かったと思っている。

殴りあいでは、小学2年で同級生とのけんかで鼻骨不完全骨折からの鼻血管損傷による出血と、目を殴られたことでも眼底及び網膜内出血を経験した。
7歳か8歳ぐらいでもここまでのことがやれてしまうということと、簡単に自分の体は壊れやすいと思ったことを覚えている。
そして、ケガした部分がどれだけ危険だったかも勉強した。眼については結構ヤバかったらしい
眼底骨折してなかったのは幸いと後から知る

口ケンカはしょっちゅうあったが、正面向かって言い合ってる方が後腐れがない。
その時は仲良くなることはないが、後で笑い話になる。
陰口を叩いていた連中とはそれっきり。

と、極端な事例ではあるけれど

自分の子供がケガしたり、傷ついたりするのが嫌な気持ちも分からないでもない

けれど、周りに対しての気持ちをぶつける加減を知らないのは時に相手を殺してしまうことになる
それが肉体的か、精神的か。

そしてケンカを通して一番学んで欲しいのは、

ケンカの収め方と赦す度量
こちらはもっと大事。

収めないままてはいつまでも続く戦争みたいなもの。
収める方法は1つ。
仕掛けた側が謝ること
やられた側が赦すこと

この赦すというのが中々に難しい
許すではなく赦す
許すは条件や担保付き
赦すは全てを水に流す

なぜ、やられた側もと思うかもしれないが、
相手との争いをその場で終わりにできる
これが大きい

終わりにできれば、関係の発展が見込める
つまり、可能性が広がる。
どこでどう活きるか分からないが、その後も悪い関係が続くよりはマシだろう。

赦すことが出来る精神はとてと柔軟でしなやか。

ケンカの仕方
まずは親が学ぼう

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