花便り
これは多分に母への悪口が含まれている。家族関係でフラッシュバックを起こす可能性がある方はそっと離れてほしい。
最近、母がLINEのアイコンを変えた。木彫りのウサギの置物だ。流行りのキャラクターらしい愛らしさでも写実的な精巧さもない。見たことのない壁紙を背にしているから、どうせどこかのカフェで撮ったものなんだろう。おそらくウサギ年だからという理由で決めたんだろう。買ってもいないのにアイコンにできる感覚が、デリカシーのなさを象徴するようだ。
違う、「アイコン変えたんだ、どこで見つけたの」そう、一言問えば良い。内情を知りもしないのに出てくる皮肉こそが私の底意地の悪さとコミュニケーションの不足、寂しさを認めたくない葛藤を物語っている。
何より私はアイコンが変わって安心している。
前はステンドグラス風に飾り付けられた、真四角の高校の窓だった。作ったのは私の部活の、私が所属したチームだ。パリの地図を模してデザインを決め、予算と睨めっこしながら新色の素材を選び、締め切りが迫る中で喧嘩をしながら何十もの部品をハサミで整えた。文化祭二日間を飾るために半年以上を費やした。当日の、窓越しに揺れる光の美しさときたら!
祭りの後は日常が舞い戻る。片付けの日、高校二年生だった私は泣いて、窓の掃除にだけは参加できなかった。それまでの毎年は、開放感から、ほぼ破くようにシートをはがしていたのだけれど、その役目は後輩に渡した。後輩は楽しそうだった。自分はといえば、いよいよ始まる受験期へのプレッシャーから、「青春の終わりだ」と吐きそうになっていた。
もう、10年も前のことだ。
この感情を母は知らない。この経験をしていないのに、ただ写真を撮っただけなのに、まるで自分の象徴かのようにLINEのトップに載せていた。
私の経験が、感情が、物語が母に乗っ取られるようでずっといやだった。だからといって、変えてよ、と言ってすぐに変えてくれるような人ではなかった。
「どうして? 綺麗だからいいじゃない」
それまで、ともに暮らしていた年月から、私は私の気持ちが汲まれるとは思えなかった。意にそぐわぬ主張をすれば暗く落ち込まれて、低い声で「ごめんなさい」と繰り返しながらも、しれっと元に戻されることは目に見えていた。それはひどく気力を消耗するだろうし、何かを伝えることは徒労だとしか思えなかった。諦めていた。
娘の、あるいは娘の友達の作品をアイコンにするくらいだから母は母であること以外のアイデンティティを失っていたように見える。管理願望がすごいんだよね、と姉とはよく愚痴をこぼしていた。振り返れば掃除も裁縫も得意でない彼女は、自らが作った食事を家族に食べさせる、ということに今だ狂気的な執着を見せている。(二日間家を留守にするときには、必ず大鍋四つ分のおでんが用意されている! 成人後の子どもとその父親に対して!) 疲れているだろうしマッサージしようか? と母がいう時、それは母にとっての「善い行い」をしているにすぎず、私達に拒否権はない。爪が食い込んで、痛い、と悲鳴をあげて初めて手が離れていく。もともと勝手に触らないでほしかった。
時差があっても、日本時間夜中の二時であっても、即既読。
べき論と自分の感想に夢中で、目の前の人物がどんな感情を抱いているのか、寄り添うこともできていなかった。
元カレと別れて消沈する姉に「そうなの、よかった、私あの人嫌だったし」とのたまい、第一志望に合格した私に「これは困った、ここに受かるはずじゃなかったのに」と冷や水を浴びせ、留学の日が近づくと「行かないでほしいけど言えなくてそう言う資格もなくて辛いの!」と叫んだ。
友人は言った。
「お母さん、恋人みたいだね、かわいいね」
冗談じゃない。
留学中から今にいたるまで、やめたいと思いながらもセルフネグレクトが心地いいのは、自らを母親の管理外に置けているという実感を持てるからなのかもしれない。
感謝は確かにしている。母の献身があったからこそ私は自分の受験に打ち込むことができた。キリスト教的な男尊女卑を刷り込まれておきながら、比較的自由に進路を選ばせてもらえているのも稀有なことだ。それでも、そのうえで私は夢想する。
パニックに陥らない母親を。過呼吸になりながら、広くもないリビングを足音を立てて行き来しない親を。挟まれば手をつぶすような勢いで扉を閉めたりしない女性を。夕食を食べている最中に、いきなり虚空に向かって罵声を浴びせたりしない大人を。
息を止めてやり過ごさずに済んだ小さな私を。
去年の四月末、父から連絡が入った。GWは帰省しない方がいい、母が心療内科にかかった結果、うつ病だと診断されたのだと。どうやら里帰り出産をしていた姉と、結婚が見えた私、そして当時生後半年ほどで病院通いをしていた孫が、普段と違う心配事を引き起こした様子だった。
久しぶりに電話をかけると父は言った。
「お母さんはもともと鬱タイプで」
そんなポケモンみたいな言い方をするか? とは思ったが、茶化さずに聞いていた。
スマホ越しに父は、今回は二回目の発症だということ、前回は私が一歳の時、病気にかかったのがきっかけだったと感情を出さずに告げていた。
私は腑に落ちたものがあった。
姉と私とは年が離れている。幼い頃から、「ずっと二人目が欲しくて、念願だったの」と聞かされてきた。そのわりに、甘えに行っても、遊びに行っても、ずっと疲れた顔を見せていた。笑顔も、心の底から笑っているようには見えなかった。
生きづらくなるくらいなら望まなければよかったのに。詮無い考えが、自分がずっと抱えてきてようやく言語化されたセリフが、それからずっと脳裏にこびりついたままだ。
自分が生まれなかった可能性を考えても夜は明ける。日は昇る。ありがたいことに、仕事があるので日常生活を送らねばならない。
会社員になってから、毎日、モーニングコール代わりにLINEが送られてくる。もう会社についていないととっくに遅刻だという時間に、母は自分が安心したいがために既読がつくのを待っている。以前は太陽の絵文字などがふんだんに使われたスタンプで辟易としていたものだったが、療養の期間はしばらく途絶えて、夏の最中に再開した時には花の写真になっていた。
青空を背に、ひまわりが二輪伸びていた。
葉とのコントラストが美しい、ショッキングピンクのオシロイバナが映っていた。
コスモスの花畑。
サボテンの華。
リンゴの実る果樹園。
金木犀の一房。
すみれ。
秋の薔薇。
紅葉。
椿。
最初は、公園程度には出かけられるようになったんだな、よかったねと嫌味混じりに思っていたが、日が重なるにつれて次第に嫌悪感が薄れてきた。昔の象印のCMを思い出したからかもしれない。離れて暮らす家族は、とりあえず生きているかと。
わずかでも季節感を感じられるのもいい。
なによりも、母の写真の腕が少しずつ上がっており、それが楽しみになっている。気合を入れていいカメラを買ったのに使いこなせていない父よりも構図がいい。iPhoneにしてからピントもあっている。色使いのセンスは絵画鑑賞から来たものか。
これはれっきとした母の作品だ。身内の思い出として、まとめてアルバムにしたいくらいだ。
アイコン、花の写真にすればいいのに。
次に帰省した時はそう告げてみようと思っている。