人類の起源 ~古代DNAが語る ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
著者は日本の分子人類学者、医学博士で、国立科学博物館館長の篠田謙一さん。
古代ゲノム解析にもとづく人類の進化史とホモ・サピエンスの拡散と集団の成立を説明した本
次世代シークエンサの実用化により、ミトコンドリアDNAに加えて核ゲノムデータの取り扱いが可能となった
人類の起源
700万年前 チンパンジーの祖先と分岐
200万年前 ホモ属の誕生 ホモ・エレクトス(原人) 北京原人やジャワ原人など
30~20万年前 ホモ・サピエンスの誕生
6万年前 アフリカから世界展開
1万年前 農耕開始
ホモ・サピエンスの体で消費するエネルギーの20%は脳で消費する。故に脳容積の増加は負担となる。
20世紀の終わりまで支配的だった多地域新仮説は、21世紀になってホモ・サピエンス(新人)のアフリカ起源説に取って代わった。2010年以降は、ホモ・サピエンスが世界展開の過程で他人類の遺伝子を取り込んだことが明らかとなった。
分子生物学と遺伝学で使われる用語説明。DNAはデオキシリボ核酸が正式名称。G(グアニン)、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)の4種類の化学物質を含み、4種を総称して”塩基”と呼ばれる。GとC、AとTがそれぞれペアになって2本の鎖状(塩基対)の構造を取る。ヒトの持つDNAは全部で約60億塩基対あり、延ばすと2メートルほどで1つの核に収まっている。核を持つ細胞は20兆個ほどあるから、ヒト1人が持つDNAの全長は400億キロメートル。(国立遺伝学研究所のデータでは60兆個の細胞で1個の細胞の核に2メートルのDNA、全長を1,200億キロメートルで地球300万周としている)
DNAが設計図を書くための文字、遺伝子は個別の働きを担う設計図、それ全体を集めるとヒトの体をつくる設計図(ゲノム)となる。
ヒトの染色体は全部で23対あり、両親からそれぞれ1セットずつ受け取り、対となる。ミトコンドリアDNAは母親のものがそのまま、男性をつくる遺伝子のY染色体は父親から息子に受け継がれる。ミトコンドリアとY染色体のDNAは、それぞれ母から子、父から息子へ直線的に受け継がれるから祖先を一本道でたどる事が可能となる。
農耕の開始に、都市の発達や文明の誕生に結び付けて語られることが多いが、人口の飛躍的増大自体が大きな影響。農耕が多くの人口を養うことが可能。世界各地の言語族の分布と密接に結びつく。
現代に続くヨーロッパ人の遺伝的な特徴をつくりあげる重要な源郷の地であるポントス・カスピ海草原。牧畜を主体とする文化(ヤムナヤ文化)で馬や車輪を利用してヨーロッパに流入して遺伝的な攻勢を一変させた。つまり従来の遺伝子が著しく減少。
日本列島に最初にホモ・サピエンスが到達したのは4万年ほど前。およそ1万6000年前に日本列島で土器がつくられ、3000年前に北部九州に稲作が作られるまでを縄文時代としている。形質的な連続性のある縄文人で、旧石器時代の日本列島集団の直径子孫。
沿海州や韓国人、台湾の先住民など東アジアの沿岸地域の集団が縄文人とゲノムを共有している。また、縄文人とアムール川(ロシアと中国の国境)流域の狩猟採集民、新石器及び鉄器時代の台湾人、チベット高原の集団が非常に古い時代に分岐した同じ系統に属する。
弥生時代は、弥生式土器・水田稲作・金属器の使用という3つの要素を持つ社会であると理解されているが、特に重要なのは農耕と金属器。
縄文人と現代日本人のミトコンドリアDNAのハプログループは大きく異なる。現代日本人に占める縄文人由来の遺伝子的な要素は、本土日本人で10パーセント程度、琉球列島で30%、北海道のアイヌ集団では70%程度になる。
現在使われている歴史の教科書では、人類の誕生(200万年前)から4大文明に至るでの人類の道のりの記載ない。”世界中に展開されたホモ・サピエンスは、遺伝的にはほとんど同一と言っても良いほど均一な集団である”という視点、”すべての文化は同じ起源から生まれたものであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経緯、そして人々の選択の結果であある”という認識が欠けている。