小坂井敏晶教授のオンライン講習会”教育と言う虚構”Streamed live on Mar 19, 2020

気に入った内容を文字に起こししてみた。

< 講義からの抜粋>

:学校制度の役割について述べた講義。学校の目的は?人格を育てる?生徒を格付けする、格差を正当化するための役割がある。大学は希望する職種に就くための”手段”となっている。逆に、素晴らしい授業があっても、学校が単位や卒業証書がくれなかったら、誰も誰も大学に行かない。

:相対的評価。社会に階層構造(プラミッド構造)がある限り資格の価値は相対的に決まる。生徒みんなが偏差値70でも全員が東大に入れない。問題はコンテンツの中でない。社会全体の質は上がるかもしれない。教育は個人の為でなく国の為であるという人もいる。学校は格差を生み正当化する装置である。

:どの社会にも格差はある。能力の違いは何か?環境か?遺伝か?行動遺伝学によると人間の才能は遺伝が決める、家庭環境は関係ない、と言う。一方で、教育社会学は家庭の経済条件が決める、という。→ 小坂井教授としては上記はいずれも的外れな議論。遺伝も家庭環境も偶然も当人は選べない。つまりどれも外因である。遺伝は変えられないが環境は変えられる→ これは間違い。子供からすれば全て変えられない。偶然も然り。要は遺伝も含めて全て外因である。Nature/Nurture Debate

:受精に作用する偶然 2の23乗(精子, 838万通り)と2の23乗(卵子, 838万通り)による受精卵(2の46乗)で70兆3687億通りとなる。生まれる際の遺伝子構成の確率。偶然が作用している。

:能力の違い→ ①運命(身分制・遺伝) 自分が頭が悪い場合、それを遺伝の理由とする。親や先祖がバカだから自分もバカだと言える。つまり自己責任論に依拠しないで格差を正当化可能。階級社会も然り。②適者生存(環境、自己責任) 弱肉強食の論理で、19世紀半ばからダーウィン進化論と共に発展。自己責任とする。③偶然 誰にも偶然は起きる。誰にも責任はない。格差が正当化されない。身体障害者。

:19世紀に人種や階層の違いが台頭→ダーウィンの進化論は生物学でなく経済学から指示を受けて広まった。階級構造の再生産 - 家庭や周囲の影響が学力の差を生む。つまり遺伝と環境による学力の差は生まれる。

:貧富の差で教育機関を分ける→ 社会起こす人が出てくる。社会変革を無くすためには自由競争にする→教育の機会を平等にしても実質は伴わない。イギリスの大学進学率は33%だが、貧困層(給食費免除の貧しい家庭)は4%のみ。オックスフォード大学の約9割は高い階級家庭出身。フランスの留学する割合も家庭環境による。アファーマティブ・アクション(格差の是正。能力には適用されない) により公平に評価されると信じさせる。

:平等な条件で競争させれば公平な社会が出来るという幻想。環境と遺伝により能力の差は生じる→ 公平な教育を提供する事によりこれらが隠される。能力の格差は自己責任となり社会に責任が無くなり社会革命は起きない。

:正義論 John Rawls 能力に応じたインセンティブを与える→社会全体の質が上がる。累進課税により貧困層にも富の分配 → 小坂井教授の視点からは、これは原理的に無理がある。無理な理由は2つ。正義論は不変的な答えを求めるから。人間は合理的な存在でないから。美意識は社会規範。歴史や社会条件を無視できない。真・善・美は人間が創る世界。人間が受け入れた価値が真理であり、真理が最初からある訳でない。美しい人が美しいのは、美しいからでなく、美しいと人間が決めたから。

:リバタリアン Robert Nozick 他人の自由を侵害しない限り富を得ることは正当である。所得への累進課税は富の掠奪だと。

:運の平等主義 Ronald Dworkin 生まれつきの不運は保証すべき。家庭環境や偶然は選択によるもの。

:秩序を保証していた根拠(神)が消えて身分制が崩壊する。格差の理由は個人の内部に求められる。近代は自由や平等を唱えている。平等への願望が激しくなり不満が募る。階級社会は羨望や憧れ。

:変われば変わるほど、もとのまま。思考枠を変えなければ何も変わらない。偶然は誰にでもやってくる。思考枠外を持ってくる。

:”べき”論は逃げ。祈るのは自由と不変は共存しない。なぜならば、自由はどこに行くか分からない。

:魔女狩りも、ヒットラーもポルポトも全て正しいと思ってやっていたはず。

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