感染症について学ぶ
『感染症の世界史』 著:石 弘之
コロナウィルスの第3波が到来しており、にわかに警戒ムードが強まっている。Go to Travel やGo to Eatといった施策が功を奏し、縮こまった消費マインドがようやく解きほぐされてきた矢先に、コロナウィルスが再び猛威を振るいはじめた。緊急事態宣言が解除されて以降、コロナウィルスへの警戒感を緩めていたことは自分自身認めざるを得ない。感染症は短期で収束するものではなく、数年単位で向き合っていかざるを得ないということを改めて実感している。
そもそも自分は感染症についてあまりに知らなさすぎる。インフルエンザは今も毎年流行っているものの、予防接種やワクチンが存在していることもあり、たいして恐れられていない。昔は、天然痘やはしか、結核等の感染症が多くの人の命を奪ったが、今では医学がそれらを制圧した。新たな感染症が出たとしても、医学の発達によっていずれ制圧してくれるはずと、自分は思い込んでいる。しかし、本書では、「我々は過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った”幸運な先祖”の子孫であり、これまで上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、さまざまな対抗手段によって感染症と戦ってきた」と記している。今の自分の思い込みは、当たり前のことではなく、長い年月をかけて得た戦果であり、感染症との戦いはまだまだ続く「軍拡競争」だとしている。
人間が次々と打つ手は、微生物からみれば生存が脅かされる重大な危機である。人が病気と必死に戦うように、彼らもまた薬剤に対する耐性を獲得し、強い毒性を持つ系統に入れ替わって戦っているのだ。まさに「軍拡競争」である。
地球に住む限り、地震や感染症から完全に逃れるすべはない。地震は地球誕生から続く地殻変動であり、感染症は生命誕生から続く生物進化の一環である。
本書では、人類はその誕生以来、常に病気に悩まされており、農業の開始によって人類が定住化し、集落が発達するにつれて、人同士あるいは人と家畜が密に接触するようになってから、人と病気の関係は劇的に変わったとしている。特に初期では、人は水がないと生存できないため、定住場所は水辺に限られていた。集団感染がはじまったのは水を介して感染する病気であり、代表的なものは蚊が媒介するマラリアであった。古代エジプトの時代からマラリアが流行していたことがわかっており、クレオパトラは蚊帳を使っていたことが発掘されたレリーフから判明している。
農業が発展するつれ、河川や湖沼に生息する住血吸虫症が広がった。近年の研究によると、ナポレオンは尿道の激痛に悩まされており、1791年のエジプト遠征の際に、ビルハルツ住血吸虫に感染した可能性が高いと言われている。また、定住社会が発達するにつれ、排泄物によって伝染する病気も拡大した。集落の多くは飲み水と排水を特定の河川に頼っていたため、コレラや赤痢、チフスといった消化器の感染症が蔓延することになった。動物も病気の温床となっているが、人類は家畜と密接な関係を持ち続けており、食物生産が感染症の拡大をもたらしている。
都市化が進むにつれ、感染の規模が拡大し、世界的な大流行が出現した。ハンセン病(13世紀)、ペスト(14世紀)、梅毒(16世紀)、天然痘(17-18世紀)、コレラ・結核(19世紀)、インフルエンザ・エイズ(20世紀)といった大流行を引き起こした感染症は過密社会の存在を抜きにはできない。
産業革命が始まった英国では、人々の生活意識は中世のまま、都市の人口が急増したにも関わらず、住宅や上下水道、ごみ処理などの都市機能が追い付かず、最悪の衛生状態を招いたことで、感染症が猛威を振るった。当時のロンドンでは下水がそのままテムズ川に垂れ流され、濾過も消毒もされない未処理のまま市民の飲料水になっていた。ロンドンの医師だったジョン・スノーが、「空気感染説」が有力だったコレラの原因を、テムズ川を水源とした飲み水であることを突き止め、ここから「疫学」がはじまったとされている。
日本でも江戸で都市化が進んでいたが、当時からし尿は回収され、「下肥」として農村に引き取られており、街は非常に清潔で、消化器感染症も少なかったと言われている。しかしながら、当時のオランダ商人からコレラが広がり、江戸でも大勢の死者が出て、感染が収まるのに3年かかったと言われている。ペリー艦隊の船員にもコレラ感染者がおり、江戸での感染拡大に対する恨みが黒船や異国人に向けられ、開国が感染症を招いたとして攘夷思想が高まる一因になったと本書は記している。また、江戸時代ではハシカが25~30年おきに流行を繰り返し、流行のたびに多くの人命が失われた。「生類憐みの令」を発した徳川綱吉もハシカにかかり亡くなった。
人の移動は病気を拡散する。シルクロードでは東から絹、漆器、紙が、西から宝石、ガラス、金銀細工、じゅうたん等が交易品として行き来したが、同時に、東からはペスト、西からは天然痘やハシカが、人や家畜を通して運ばれたことで大流行を招いた。南米ではアステカ帝国がエルナン・コルテス(大征服者)が率いるスペイン軍に滅ぼされたとされているが、実際はスペイン人がもちこんだ天然痘とハシカによってアステカの人口が急減したことが主因であったと言われている。
これらが示すように、農業・工業・貿易・都市化等、人の営みが発展する一方で、歴史の節々で感染症が流行し、大勢の人が亡くなってきたことがわかる。病気のない世界はいつの時代にあっても人類の夢であるが、実現はしていない。
私たちの祖先は、たえず人類に襲いかかる飢餓、自然災害、感染症を運よく生きのびて、現存の子孫を残すことに成功した。だが、この幸運が今後も続いて無事に子孫を残しつづけることができるかは、保証のかぎりではない。
今も世界で人口は増え続け、人やモノ(動物を含め)の行き来は止まることなく進んでいる。主要都市では人口の集中化と高齢化が進んでおり、この両者は感染症流行の温床であることは明らかである。コロナウィルスに直面したことも遅かれ早かれ、不可避ではなかったと思わざるを得ない。感染症との戦いは今も続いている。過去の先人が感染症の脅威にどう対応してきたのか、現代に生きる我々はもっと学ぶ必要がある。本書は感染症の歴史を辿るうえで適した一冊である。