「KITAKU BEATS」という曲について。
FREDERHYTHM ARENA 2025
CITRUS CURIO CITY
KOBE/TOKYO NIGHT CRUISING
どちらも大変いい夜でございました。
フレデリックチームの皆様、お疲れ様です。
皆様、はじめまして。にし と申します。
フレデリックの虜になってから早8年、
4月に社会人を迎える一介の学生でございます。
本稿では、この2夜を超えて書き留めておきたいと思った「KITAKU BEATS」という楽曲のこと、そして何故私はそれを愛すのかということを、拙いながらも思いを込め綴りたいと思っております。
しばしの間、何卒お付き合いくださいませ。
さて、この「KITAKU BEATS」という楽曲。
2016年にメジャー1作目フルアルバムとして登場した「フレデリズム」に収録された曲であります。
最近のフェスシーンではもっぱらリハーサルで演奏される楽曲であり、フル尺での演奏はあまりされていない楽曲でもあります。
そのためあまり聴いていないな、、、?という寂しさを感じにくい一方、KITAKU BEATSに狂わされた私にとっては生殺しに近い気分にさせられることもしばしば。というか毎回。ああもどかしい、、という気持ちになりながら本編に突入するわけであります。
その代わり本編で演奏したときの感動はひとしお。
これがあるから辞められないんです。いわゆるジャンキーってやつですね。KITAKU BEATS最高!!
…大変失礼いたしました。本題に入りましょうか。
なぜ「KITAKU BEATS」を愛すのか。
あまり自分の中でもはっきりしないというか、パッションというか、健司さんがかっこいいからとかたけちゃんのドラムが気持ちいいとかそんなところもあるのですが、
これだけははっきりと言える理由があります。
それは、
「曲の矛盾性」に惹かれたから
で、あります。
本楽曲は曲名にもあるように「帰宅」をモチーフにしている(と考えられる)のですが、歌詞の内容はむしろ逆。「帰りたくない」と繰り返すわけです。「君の隣で ダンス」もしちゃうわけです。
本曲に登場する相手にも、「マスカラ塗っちゃったりしていて」ほしいし、「喧嘩して」もいたい。
どこが帰宅の歌やねんと。
でも私は、そんなところに魅力があるのかなと感じるんです。
私たちはライブジャンキー、そして、ミュージックジャンキー。そりゃ、「遊び切ってから 帰宅」したい。「騒いでから 帰宅」したい。
そんな私たちの気持ちを、「KITAKU BEATS」は如実に示しているわけです。さすが康司さん。私たちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!
色々綴りましたけど、とどのつまりこの楽曲には並々ならぬ想いがあって、その想いを享受できる私たちは幸せだなぁって思うわけです。
まさに、「ご自分の幸せは ご自分で掴み取ってください」を体現しているといっても過言では無い。
ああ、フレデリックに出会えて幸せだ と感じられたのも、今だけかもしれない。
そんな思いで、私はまた、ライブ会場に足を運ぶ。
今はそれだけでいい、と思っています。
「KITAKU BEATS」を愛していたいがために。
なんだかまとまりがつかず、書き殴ったような本稿でしたね。
お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。