考え事ができない

たとえば電車を待っているとき、何もせず、ぼうっと風景を見つめて考え事のひとつでもしたいのだが、敗北し、すぐにスマホを開いてしまうわけである。手元に逃げるのを避けられないのであれば、せめて本にしよう。根拠はないが電子機器よりも紙のほうがタメになるはずだと書籍を持ち歩いているのだが、俺は活字が苦手で、本を読んでいても、それは文字を眺めている状態に過ぎず、結局のところ風景を見ているのと変わらず、俺はぼうっと風景を見つめることに耐えられない……と振り出しに戻ってしまう。気付けば右手にスマホ、左手はポケット、右足の側面で地面をつかみ、左足を棒に全身を支えている。いつもの姿勢、どうしてこうなってしまうのか。単純にスマホ中毒とかいう話でもない気がして、これが例えばPSPであっても同じ結果になるはず。

もっぱら考え事ができない。それは眠りにつくまでの暗闇が耐えがたいことにもつながるのだが、いざぼうっとすると、強迫性障害とか、不安障害とか、呼び名のよくわからない何かによるネガティブなイメージがすかさず頭を支配しにかかるからだ。死喰い人が空に浮かべる紋章のごとく、もやのかかった巨大な不安が脳内に充満する。そうして電車が到着し、車窓に反射した自分の姿を見ると耳や鼻から黒い煙がゆらゆらと漏れ出ている。もちろん不安からは逃れたいわけで、その逃避先として電子機器があり、そもそも俺のこの不安は右手のそれを入口とした電子空間に因るところも少なくないというのに皮肉なものだが、やはりとっさの逃避先にはもってこいなのであって、俺が常々口にする「スマホを捨てたい」というのは、「逃げ場所が必要なくなりたい」ということなのだろう。しかし、玄関のカギを締めたかどうかとか、煙草の火を消したかどうかとか、他者を傷つけてはいまいかといったような、確証のもてないあらゆる心配が脳内を往来する中で、「そんな日は来ない」という確かな事実だけが立ちはだかっている。

だから、考え事をするにも、眠りにつこうとするにも、タイミングを見計らう必要があるのだけど、「いま元気だ、やろう」と実施しても一分後には耳から黒いのが出ていたりするわけでなかなかうまくいかない。IKEAなんかに遊びに行って、洒落たソファを買う未来を思い描いても、「あの棚をずらして、反対側にテレビを置いて、壁際にこのソファ置いて、で座って、不安にさいなまれることにしよう。」と考えるし、旅行の計画を立てる際にも、「朝7時から出発して、宇都宮で朝食をとって、新白河で昼食をとって、夕方には仙台のホテルにチェックインして、荷物だけ置いて、牛タン食って飲み行って23時には宿に戻って、シャワー浴びて、民放を見ながら、不安にさいなまれることにしよう。」と日程に加える必要が出てくる。これは冗談で、自分でタイミングをコントロールできるはずもないのだが、何をするにしても「突然不安にさいなまれて動けなくなるのではないか」という不安が常につきまとうのだ。これは端的にウザい。もやが晴れて、脳内がクリアにさえなれば、俺は神になれる気がしてやまないのだが……


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