8を描くように

呼吸を尖らせないよう、最近は『8』を描くように呼吸をしている。吸う→吐く→吸う→吐くの繰り返しだと、吸うと吐くの間がどうしても尖ってしまうんで、吸う→ゆっくりカーブ→吐く→ゆっくりカーブ→吸う→ゆっくりカーブ→吐くというような感じで、8を描くように。意味はありません。白湯を飲むのと同じような感覚で、ただ、こういうことをしています。

強迫性障害というか不安障害?がさらに悪化する。去年も、春に、不安のピークがやってきた。春なのか。なんだか自律神経の乱れも感じられた。脳が次から次へと不安になれそうな事柄を記憶から探し当ててくる。俺は意志が弱く単純なんで、その不安に、安易に肉体を明け渡してしまう。ハラビロカマキリがハリガネムシに寄生されるみたいに、「お前は人を殺している」と植え付けられた肉体が足を使ってどこに向かおうが制御できなくなる日も近いかもしれない。ワインは歯茎で味わい、不安は全身で味わうもの。

何かに気が付いてしまいそうである。ふらりぱたりと耄碌した脳が、何らかのはずみで、すべての辻褄が合ったように錯覚する瞬間に、目の前にあるもの。信じてしまうに違いない。KIDO ~それに気付いたら、終わり。~、というような”真理”に、気が付いてしまいそうで怖い。たいてい、そういう真理は間違っているものだから、なるべく距離を取るために、酒を飲んで、脳を酩酊させなければならない。そのスキに多幸で上書きし、不安を気絶させる、どうして俺は、ティガレックスを討伐するみたいに、自らの脳と戦わねばならぬのだろうか…。それは紛れもなく、俺が人殺しだからである。殺していないにしても、長い針で腹を刺すといった程度のことは幾度となくしているのである。

日高屋に行って、辛味噌ラーメンというのが本当にうまいんで、そういや荻窪の日高屋って何回も行ったなあ、あそこホント辛気臭かったよな、とかいつも荻窪の日高屋のこと思い出すんだけど、辛気臭いのは俺なんだけど、とにかく荻窪じゃない別の日高屋に行って、店の中とか見て「全然荻窪じゃないな」って席に座って、日高屋もすっかりタブレット、辛味噌ラーメンをタップして待っていたら来たので食べて、ちょっとだけ辛いのと熱いんで鼻水とか出て、お手ふきお手ふき、と卓上を見ると無い。うわ、無い。補充を忘れている。しかし、そんな急を要する事態でもなかったし、隣の席は空いていて、そっちの卓上にはお手ふきが白く鎮座してるのが見えたんで、最悪そっちから取ればいいだろう、とりあえずコレだけ食い終わってしまおうと、スープまで飲み干し、顔を上げたら、お手ふきがあるのである。我が卓上に。あれ?店員が補充しに来たのだろうか。気付かないもんだろうか。それに、いま補充をされたにしては枚数が少なすぎる。見て、無いと思ったお手ふきが、実は、少し、あったのである。俺は何を見たのだろう。十中八九、店員が補充に来たのを、ピリ辛で濃厚な味噌のトリコとなっていた俺が見逃したのだろうが、こういうのも、ちょっとした怪異として、それなりに喜ぶように俺はできている。

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